Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (153)
それでも、前へ
私を見て分かりやすく動揺している渉。前にお昼休みに会いに行った時もそうだけど、仕事が関わってないと私がよく知る渉になる。不安や緊張はまだ消えないけれど、自分より取り乱す姿を見て少しだけ落ち着く事ができた。
「な、夏川……?」
「う、うん……」
有り得ない──そう言いたげな渉は一歩二歩と近付いてから目を擦る。返事をしてみると、渉は確認を終えるように二歩下がった。アニメやドラマで見るような仕草が少し面白かった。
「め、女神……」
「なっ……」
突いて出たような言葉。過去の渉を思い起こせば何度も聞いたことのあるセリフだった。けれどその語感は何だか懐かしく、聞き飽きて煩わしく思っていたあの頃とは違うものに感じた。
「なによ急にっ………」
「や、うん、ちょっと……夕暮れ補正にやられただけだから」
「そ、そんなの──」
頭の中に渦巻くもの。委員会を終えて、佐々木くんと話してから色んな事を考えた。訊きたい事、分からない事、知りたい事、ある程度は整理できていたはずの内容がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられそうになる。頭へと込み上げそうになる熱を持った何かを、自分にしか聞こえないくらいの声で支離滅裂に説き伏せた。口から飛び出る言葉の意味は自分でもわからなかった。
そうじゃない。そうじゃないのだ。
思考を取り戻した頭が心の動揺を断ち切るように訴える。女神───そんなふうに例えられるほど私はご大層な存在じゃない。それどころか人並みの事を為せている自信すらない。自分が小さい頃から親に親戚に同級生と、持て
囃
されて来た甘やかされっ子だって事くらいは自覚している。それが原因だなんて思わない。結局、今の自分を空っぽに仕立て上げたのは自分自身なのだから。
頑張ったつもりだった。苦しんだつもりだった。悩みに悩んで、乗り越えたつもりだった。
それなら、今こうして心の中が
靄
がかっているのは何故だろう。簡単だ、優秀の皮を被った自分が、実は大した事のない存在である事を認めたくないからだ。女神のように優れてなんかいない、頼れる存在ですらない、私はそんなに持ち上げられるような人間じゃない。出来ない事を認められない、ただの子供なんだ。
対峙するように渉に目を合わせると、どこか焦りながら目線を逸らされた。
「てか、まだ帰ってなかったんだな。夏川なら一秒でも早く
愛莉
ちゃんに会いたいなんて言ってとっくに家に着いてるもんかと思ってた」
それはそうだ。その気持ちはある。この世で一番大切なもの、愛莉。愛しい妹の笑顔を守るため、一分一秒でも早く傍に居てあげたい気持ちはある。でもこのまま家に帰ったとして、自信を持って愛莉に笑顔を向けられるだろうか。中学のあの頃の、引き攣った笑みをもう家族の誰かに向けたいとは思わない。それに──
「そ、それは………あんたを、待ってて…………」
「え?」
同じくらい──〝会いたい〟と、心を追い越す衝動があったから。
それをはっきり伝えられたらどれだけ楽だろうか。呼吸の隙間から漏れ出るようなか細い声が情けなく、恥ずかしさで指先が震えた。それでも、ここまで来たのなら逃げ出したくはない。
「あ、あんたを……待ってたからっ」
「え?」
な、何で伝わらないのっ……。
思わず言ってしまいそうになった。恥ずかしい思いを隠し、精一杯どうにか絞り出した声を聞き返されてしまった。代わりに「ぅぅぅ……」と唸り声のようなものが出てしまった。悔しさのあまり視界が少し潤んで揺れる。感情が抑え切れず、睨み上げるように渉を見ると、先ほどとは打って変わって、動揺の一切を消した真顔があった。
驚いて、悔しさを忘れる。
「……え、何で?」
本当に分からないと言いたげな目を向けられる。不安や
狼狽
えは無く、何かを探るような──確認するような顔だった。どこか散らばっていた渉の意識が、私だけに注がれたのが分かった。
目が合う。
揺れない瞳。逸れない視線。私の中に真っ直ぐ飛び込んで来る眼力に圧倒されそうになる。それでも、この気持ちを伝えなければという使命感のようなもので何とか持ち堪えた。
「……渉と、話したくて………」
「………」
渉の視線の先が私の中で探るように動いた。体が動かない。私の中を、心を、探し物を探すようにごそごそと掻き混ぜる。まるで身体を好き放題に
弄
られているようだった。
一頻
り私を
弄
った渉は、視線の
先
を諦めるように私から取り出した。その異物感が消えた瞬間、呼吸が早まった。体全体が熱を帯びたような気がした。左手で右腕を抱える。いつもより、皮膚の表面が薄くなっているような気がした。
「えっと、何か悩みごとでも……?」
「な、悩みごと………うん……そんな感じ、かも」
間違ってはいない。けど、問われるまま、適当に答えた言葉だった。考える余裕が無い。話そうと思っていたもの──胸の内ではっきりと形作っていた水風船のようにどうにか形を保っていたものが割れてしまっている。幸いな事に、飛び散ったそれらは水ではなかった。次の渉の言葉を待つまでに、思考の浅瀬で急いでそれらを拾い集める。問われて答えるまでに、何とか元の形まで戻す事ができた。
「へぇ……どうしたんだ?」
「……えと、最近………ううん。たぶん、ずっと前から、なんだけど………」
絞り出した言葉はぼんやりとしていた。ちゃんと渉に伝わるか不安になる。言いたい事を頭の中で咀嚼し、細かくして、補足して、口から出す。それができたらどれだけ楽な事か。
結局、パッと浮かんだ言葉がそのまま零れた。
「───私は、役に立ったのかな………」
「えっ?」
訊き返されるのも当然。具体的な内容を含まない言葉が理解されるはずがない。ただ面倒な部分だけを伝えてしまった。
伏し目がちになっていた視線を上げる。恐る恐る渉を見てみると、そこには面倒そうな顔は無く、静かにじっと待ってくれる頼もしい顔があった。
「役に立ったのかなって…………何が?」
急かさず、ゆったりとした言葉。渉は私にもう一度伝えるチャンスをくれた。思えば、今まで渉に言葉を遮られた記憶が無い。気付かなかっただけで本当は聞き上手なんだろう。そんな、ふんわりとした優しさに本当は心を落ち着けるべきなんだと思う。
それなのに、何故か鼓動は大きくなって私の調子を狂わせた。
「今回のとか…………ずっと、言われるまま手を動かしてただけっていうか……」
「や、一年なんだから普通そんなもんなんじゃねぇの?」
違う。私が伝えたいのはそういう事じゃない。普通がどうとかじゃない。そんな客観的なものじゃない。渉が、私を見てどうだったか。そこが聞きたい。
「でも………」
「…………?」
でも、でも、だって。どこかのテレビで見たどうしようもない女の子が頭に浮かんだ。もしかすると今の私はそんな風に映っているのかもしれない。
嫌われたくない。
強く思った。祈るように渉を見上げる。渉は戸惑いながら私を見た。
今の私はどうしようもない。まともに言いたい事を伝える事も出来ない。それが歯がゆくて、惨めで、恥ずかしい。思わずどうか察してくれと、そんな不躾な目を寄越してしまう。
「や、俺は──」
何かを感じたのか、渉はハッとして私を見た。渉にも纏まらないものがあるのか、視線を落として考え始めた。
私を理解しようとしてくれている。
悩ませたくはない。けれど、やや眉間にしわを寄せて考えるその姿に嬉しさを感じた。目が合っていない事を好都合に、体の中の熱を逃がすように心を好き放題暴れさせる。
渉の顔をじっと見る。飽きる気がしない。
表情の変化を見逃さないようにして渉の考えが纏まったのを察知すると、際限なく膨らんでは縮む鼓動を抑え付けた。
「あー……っと、そもそも俺は部外者だし? しかもやってる事っつったらアウト寄りのグレー……何ならアウトだし。学生が文化祭のために
他所
の業者を金で雇って手伝ってもらうとか本来は有り得ないっつーか……そんなのに加担して〝よくやってる〟も何もねぇだろ」
「何で………?」
考えるよりも先に言い放っていた。
まるで自分は何も
善
い事をしていない。そんな風に卑下するように言う渉に納得が行かなかった。追い詰められて、苦境に立たされていた文化祭実行委員会──渉や石黒先輩が来るまでは先行きが何も見えず、不安の毎日だった。他でもない、暗闇に落ちかけていた私たちを明るい場所に引っ張り上げてくれたのは間違いなく渉達だ。そこまでしてやった事が全て無駄だったなんて言って欲しくない。
「や、だから──」
「何で、そこまでするの……?」
「えっ…………え?」
狼狽える渉。困っているのがわかる。
困らせたくない。責めるような真似はしたくない。そんな事は分かってる。今すぐ口を閉ざしたい。胸の中、どこか冷静な自分が濁流のように溢れ出る言葉を止めようとしている。けれど、温度と勢いが乗ったそれらを止めることは出来なかった。
「何で渉がやったの……?」
「や、その──」
「なんで………どうやったらそんなに頑張れるの?」
「………夏川?」
……………。
少し、強い言葉だったけれど。それがやっと伝えられた本音だった。もうこれで良いんじゃないかと思う。諦めて、あくまで冷静であろうとする自分を切り捨てた。
「最初に渉が現れた時はびっくりした。全部知ってたかのように手伝って、次には先輩の人と一緒に指示を出して、打ち合わせみたいのに参加したりもして……。いろんな理由で生徒会も危ないって知った時は、お姉さんを助けるために頑張ってるのかと思ってた」
「あ、あー……」
「──でも、渉ははっきり『違う』って言った」
そうだ。そこから私は気になり始めた。
あの
渉が、お姉さんを差し置いてまで頑張り続ける理由は何なのかと。一度気になると、その思いは際限なく膨らみ続けた。
「あ、あれはっ……あっと、ほら、
姉弟
だしさ。『姉貴のため』なんて小っ恥ずかしいこと真正面から言えねぇじゃん? 元々そんなに仲良いわけでもねぇし」
「嘘。あの時、見てたから。誤魔化す顔でもムキになってる顔でもなかった。私だって、中学生の頃から渉のことを知ってる」
「………」
〝付き纏われていた〟。少なくとも今もそう思っているあの二年間。渉は私に興味を持って、私の色んな事を知ったのだろうけど。私だって、その間ずっと渉と過ごして来た。感情が乗ったときの顔、仕草、声色。渉のことを知ろうとはしなかったかもしれないけれど、記憶を辿ればそこにはいろんな渉の姿があった。
渉が、私の目を見る。
「……何で、そんなに知りたいんだ?」
「……っ…………」
一瞬……ほんの一瞬だけ、その目に苛立ちが浮かんだような気がした。訊き返しながら元の机の場所まで戻った渉は、若干乗り上げるように机にもたれかかって、また私を見た。その頃には、先ほど一瞬だけ感じた鋭さはもう無くなっていた。心が揺さぶられる中、何とか答える。
「…………わ、わかんない」
「なら、良くない?」
すかさず言葉を返される。渉の目からは言いたくないという意思が感じられた。私の中でモヤモヤしたものが膨らんだ。
〝言いたくない〟。それはつまり、ちゃんとした理由があるということ。渉はお姉さんじゃなく、別の何かのためにずっと頑張っていて、ひたむきに前を向いている。
渉の原動力。渉の秘密。本人が〝嫌〟というなら、本当は無理に聞き出すべきじゃないのかもしれない。頭ではわかっていても、それを知りたいと強く思う気持ちがさらに言葉を
紡
がせた。
「や、やだ………」
「………」
子供じみた言葉。愛莉の口から何度も聞いた。
不思議とそんな自分を否定する気にはなれなかった。きっともう、私は自分が納得しないと気が済まない子どもなんだと開き直っているんだろう。普通なら、こんな姿は誰にも見せない。
でも。でも、渉になら───。
『───だってあいつは………ずっと夏川のことが好きなんだから』
佐々木くんの言葉を思い出す。当たり前のように分かっていたはずなのに、それを思い出す度に何かを突き付けられるような感覚がする。そう感じるのは、私が目を背けている証拠だ。
春の終わり。渉から決別するかのように告げられた時、思ったより動揺してしまったのを憶えている。今思えば、その時からとっくに私は目を逸らし続けていたのかもしれない。
〝気になる〟───たったそれだけの気持ちを認める事ができずに。
「………」
見ると、渉は少し目を見開いて意外そうに私を見ていた。そんな渉にどこか後ろめたさを感じる。〝女神〟だなんて例えてみせたほどだ、私の口から我が儘としか言い様のない言葉が出て面食らったのかもしれない。
「…………はぁ……」
「…………!」
渉が小さく溜め息を吐いた。ただの呼吸のような、注視していないと気付けないような、そんな小さな溜め息。
呆れられたのかな。嫌われたのかな。もしそうなら、少し胸が痛い。
興味がある、気になるだなんて言葉にできない。だって、私は今まで渉の思いを何度も踏みにじって来たのだから。〝もっと知りたい〟なんてそんな言葉、
烏滸
がましいにも程がある。何かを築いて行くには、とっくに手遅れなのかもしれない。それでも。それでも。それでも。
「──………夏川、あのさ」
「……ぇ…………」
──優しい声だった。
俯いていた顔を上げると、渉は机に座ったまま窓の外を見ていた。夕暮れを越え、紫色に変わる空に同じ色の瞳を溶かして。
どこか自嘲気味に口角を上げる横顔は、教室を覗いたときに最初に見たものを想起させた。そこに、つい力が抜けてしまうようないつもの笑みは無かった。そして、ほんの少しだけ痛みを我慢するような顔で。
私の知らない顔で、そっと呟いた。
「──ぁ……」
…………神様──女神様。
私は
貴女
のようにはなれません。誰よりも可愛い妹の世話が好きだけど、まだ子供な自分が捨てきれず、つい駄々をこねてしまいます。頑張って優しいお姉さんになろうとするけれど、少しつらいと、誰かに甘えたくなってしまいます。まだ、大人になれそうにもありません。
だから………教えてください────
「────惚れた弱みだよ」
抑えきれない熱は、どうすれば冷めますか。