Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (124)
女神は───
「…………絶対おかしい」
「……うん」
ポツリと呟いたのは同じクラスメイトの男子。何の事についてかは言うまでもなかった。
放課後の一室。部活でも無いのに黙々とペンを走らせる音が響いていた。周りの皆……特に三年の先輩達の傍らには明らかにおかしい量の書類があった。夏休みから続けて来た文化祭実行委員としての活動は、明らかに余裕を無くし始めていた。
違和感を感じているのは先輩達の態度。活動を始めた序盤、余裕な素振りを見せて自分達に任せろと言わんばかりだったのにも関わらず、それは一転して頭を下げて申し訳なさそうに後輩に向けて白紙の書類を差し出す始末だった。
自分を含め、一年生は戸惑うばかり。それだけならまだ良いのかもしれない、一つ上の二年生は三年生に向けて不信感を募らせているのがわかった。悪くなりつつある空気に同じ一年生達はさらに辟易する。
「───ごめんね、今日はここまでで」
最終下校時間の合図。否応無しに手を止めるしかなかった。急かされるように荷物を纏めて解散する。
「その、佐々木くん……」
「まあこの方が負担軽減になるかなってさ。別に夏川は気にしなくていいよ」
「そう……」
学生鞄にそっと書類を忍ばせ、気丈に笑ってみせる彼。ホントは良くない事だけれど、状況が状況。そうやって自己判断できる事に感心する。管理上、自分は責任を取れないため先輩に言われた通りに何もせず引き下がる事にした。
「悪い、先に帰るな。また明日」
「あ、うん。また」
立ち上げたスマホを見て彼は苦い顔をすると、急ぐように教室から出て行った。彼からはよく妹の愚痴を聞く。またせっつかれているのだろうと、妹に執着される彼を自分に置き換えると少し羨ましく思った。
(なんだかな……)
忙しく、余裕の無い感じ。以前にも憶えのある感覚に懐かしさを覚えた。けれど昔と比べれば充実感がある。何故なら、あの頃と比べて自分には側に在るものが違う。昔から続けてるルーティーンの中に、ひと時の楽しみがあるからだ。そのためなら多少の疲れも英気の一部にできた。
そして今日は、そこにもう一品。
「……あ………」
「ん?」
昇降口に向かうと予想外の人物が居た。佐城渉。本来帰宅部のはずの彼がどうしてまだここに。そんな疑問は浮かんだけれど、どうでも良かったのか言葉にはしなかった。重要なのはそこじゃない、そんな事を考える暇があるならと、少し焦っている自分が居た。
どこかズレた切り口から始まる会話。無意識の時間の始まりだった。靴を履き替えた記憶なんてない。気が付けば横に並んで歩道に影を伸ばしていた。
弾む会話。時折回らなくなる舌。上手く言葉にできないタイミングはあれど、スマホのアプリで話している時より濃い時間が過ぎていた。
今までにこんな事があったか。欲張りな自分が居る。自分の事に精一杯で、気が付けば身動きが取れなくなっていた日々があった。それを受けて、高校生になってから手にしたものに有り難さを感じている。けれども、日常が充実するに連れ『まだまだ物足りない』と湧き出るものがあった。
もっと、深く……深みへ───。
「あああアンタっ……! 夏川さん追い掛けて
鴻越
行ったのは聞いてたけどついに付き合えたの!?」
「ばッ……!?」
頬を軽く
叩
かれたように、思考が止まった。
(え──)
「おいッ!やめろハル!」
聴き慣れない怒鳴り声。ただただ驚く。
やっと手にした日常と、可愛い妹の笑顔。それを失わないように、縋るように毎日を過ごしていた。どうやら、自分はそんな“今”を手放さないようにするために必死になっていたらしい。
頭の中の奥底、捨て置いていたもの。充実してる今がある──だから、そんな事はもう良いじゃないと、無かった事にしようとしていたもの。
「俺達はそういうの、もう終わってるから」
「ぁ──」
“そういうの”。その意味が理解できた。
恋とは。“付き合う“とは。そんな事を言われても解らない。いやそんな事をしてる場合じゃない。自分には他にすべき事がある。しつこい、やめて、迷惑───そうやってあしらって来た日々があった。本当に、あの頃の自分にとっては雑音でしかなかった。
高校生活に期待を膨らませ続けていた日々、突然目の前の彼に言われた謝罪と、よく分からない言葉。そこまで重く受け止めていなかった。ただ、失うことを恐れた。やっとの事で手に入れたものが著しく損なわれる気がしたから。
気が付けば、何かが終わっていたらしい。
体が固まっている間、
走馬灯
のように今までの記憶が巡った。ついさっきまで、その一挙手一投足にまで親しみを感じていた彼を、かつて虫を払うように邪険に扱っていた日々。傷付いた顔は見た事が無い。それでも今思えば胸の奥が締め付けられるように痛い。
「友達。普通の友達なんだよ。もうそっからどうこうなるような関係じゃないから」
(───)
身動きが取れない。暑くて寒い。この気持ち悪さ──夜、1人でベッドで寝てる時に部屋の天井を見ながら、自分の行く末に不安を感じて眠れなくなった時の感覚と同じだった。
目の前で話す二人。歩道に伸びる影が夕日でやけに鮮明になっていた。気が付けば聴こえて来る声は遠くなって、ずっと一枚の風景画を呆然と眺めているようだった。
突如、こちらに向く顔。
「──その、ごめん夏川。昔の知り合いがズケズケと……」
驚いて肩が跳ねた。そんな自分を見て彼が訝しく思うのではないかと、恐る恐る顔を見上げる。初めて会った少女は居なくなり、何とも気まずそうな苦笑が向けられていた。
(えっ……え………?)
さっきまでの佐城渉。横で、自分の灰色の放課後に彩りを与えてくれていた男の子。まるで、まだ
その時
であるかのような口調で話しかけて来た。今の今まで張り詰めた空気なんて一度も無かったんじゃないかとすら思いかける。
急に現実感が戻った。地に足付ける感覚。覚束無い返事をしながら頭の中を整理する。だというのに、ふと前を見たら見慣れた分かれ道が待ち構えていた。
「じゃあ俺、こっちだから……また明日な」
「ぁ──わ、渉!」
反射的に呼び止めて腕を掴んだ。とにかく待って欲しい気持ちが強かった。頭を整理する時間──冷静になる時間が欲しい。せめて、さっき起こった事をじっくり咀嚼できるまで。
そうだ、無かった事になんてさせない。確かに、いま目の前で看過できない事が起きた。彼にそんなつもりなんてないのかもしれない。だけど、このまま立ち去るなんて許せなかった。
思いにも寄らない事を断言された。そんな事になっているなんて思っても見なかった。自分の知らない間に話が勝手に進んでいた。
また加速する現実感。同時に、目の前の佐城渉にとって自分がどういう存在だったかを思い出す。
「あ、あのさ………アンタは、まだ──」
まだ──今、自分は何を言おうとしている?
“再確認”しようとしていなかったか。彼にとって決して軽んじていなかったかもしれない気持ちを、他でもない、それを爪弾きにして来た本人である自分が。
(───いつから?)
いつから──いつから忘れていた? 自分達は
そういう
関係。本来なら気軽に話せる関係なんかじゃないなんてよく考えれば解るはずだ。高校に入って、生活に余裕も出来て、自分の事で手一杯じゃない今なら他の事にも目を向けられていたはずなのに。
(そうだ──渉が)
彼の様子がおかしくなったタイミングがあった。あの頃はまだクラスに馴染めていなくて、いつもみたいに彼を振り払いつつ、どうやってもっとみんなと仲良くなろうって、そんな事を考えていた気がする。
何か彼からいつもと違う事を言われたのはまだ憶えている。それでも寝て起きればどうせまた自分の前に現れるだろうと思って、あまり深く考えなかった。
『夏川──』
『え──』
呼ばれ方が名字に変わって驚いたのも憶えている。それでも、顔を合わせば当たり前のようにいつものへらっとした笑みが返って来て──寧ろ、程良い距離感で。戸惑いこそあったものの、何も問題なくて。当たり前のように“そこに居る”事に感謝を覚えて。
(もしかして──私だけ…………?)
自分だけ、何も考えていなかったのか。
俗に言う“グループ”が一緒で、学校に行けば当たり前のように話す相手で、たぶん、自分がどれだけ拒絶しても居なくならない存在。何も心配する必要は無いんだと。何も考える必要は無いのだと。
気が付けばそうなっていたのは自分だけだったのか。
「……ん、どした?」
「あ、えっとっ………そ、そのっ……さっきの、ハルさんって人………」
「………ハルが、どした?」
「あ、えっと………」
好意を伝え、伝えられて、拒んで、拒まれた関係。何度も繰り返したからかそこまで意識はしてなかったけど、普通なら気まずくなってしまう出来事。普通なら、友達のままでは居られなくなってしまうかもしれない出来事。
普通なら、もう終わってしまうかもしれない関係。
(渉は──ずっと考えてたの……?)
どうして。どうしても何もない、彼が想いを伝えて、それを自分が拒んだからだ。だからこそ彼は身の振り方を考えるしかなかった。ただ、そこに辿り着くまでに数を重ねていただけ。いつか必ずしないといけないことをやっただけ。
そして、それをはっきり言葉にしてくれたはずなのに、自分が無かった事にしていただけ。
「──ごめん……なんでもない………」
もしかして、彼は友達をしてくれているんじゃないか。夜に親友と一緒にスマホで話している時も、さっきまで向けられていたへらっとした笑顔も、その全てがただの気遣い──演技だとするなら。
(わ、私も──)
壊しちゃいけない。壊すわけにはいかない。彼がずっと保ち続けて来たもの。それに気付かず、ただずっと甘んじていただけの自分が素知らぬフリをして良いわけがない。
「───疲れてるみたいだし、この辺にしとこうぜ。立ち話をしても余計に疲れるだけだろ?」
「………え?」
「ほら、早く愛莉ちゃんに顔見せてやんねぇとじゃねぇの?」
「あ、うん………」
「ハルにはデリカシーが足りねぇっつっとくわ。んじゃ、また明日な」
自覚するものの数秒、背を向けられる。するっと離れた手が残った。振り向かれて見られるのが怖くて直ぐに下ろした。
彼は振り向かなかった。