Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (155)
暴露
西の空が白んでいる。向こう側はまだ昼の明かりが
微
かに残っていた。
真上は星の散らばる濃紺の空。今はいったい何時なんだろう。今さらスマホを取り出して確認する気にもなれない。
丁
字路のカーブミラーに丸々と肥えた俺が映っていた。表情は歪で見えない。自分が今どんな顔をしてるのかなんて興味は無かった。
「……………………ええ?」
理解が追い付かない。疑問の声を上げる事が出来たのはそこに棒立ちしてかなり経った後だった。体の表面にさっきまでの熱はもう残っていない。秋どころか冬さえ感じさせる冷たい空気が制服の隙間を通って
攫
って行ったからだ。
───つまずいたん、だよな?
ふわり、と包み込まれた感触を思い出す。背中だけじゃない、だらりと下げた腕の隙間を通って、夏川の指先が俺の脇腹を撫でていた。確かめるように動くその感触が脳裏にこびりついて離れない。俺は夢でも見ていたのかもしれない。
頭の中で篭った声が何度も〝お疲れ様〟と囁いている。一語一語に熱を感じるのは背中からじんわりと上がって来た吐息の温かさだった。つまずいて驚いたのか、その言葉の後も、同じような熱い息を背中に感じていた。
───ホントにつまずいた?
ぶつかるような衝撃はなかった。錯覚してしまったのは絶対で、回された腕は三時間くらいここにあったように思えた。熱く、甘く、酷く魅惑の時間だった。あの時の温もりが全て北風に攫われたのだと思うと、好ましい季節の到来を睨み付けることしかできなかった。
わからない。時間の流れを忘れてしまった俺ではもう夏川の真意をつかめない。もしかすると、俺の時間が止まっただけで夏川は慌ててすぐに離れていたのかもしれない。〝お疲れ様〟なんて言葉は、勝手に〝疲れたアピール〟を決め込んでた夢見がちな俺の幻聴だったのかもしれない。
だって、もう背中にあの温もりは感じないのだから。
確かめる方法なんて有りはしない。夏川が「つまずいた」って言ったんならそうなんだろう。それが嘘か本当か確かめられるなら、俺は今ごろ毎日夏川と手を繋いで帰ってる。きっと、考えたって仕方ない事なんだろう。
「………………ラッキー」
そうやって、自分の幸運を喜ぶ事にした。
◆
門限の無い
家
だけど、何気に日が落ち切って帰るのは初めてだった。勝手にバイトを始めたりする不良少年が今さらこの程度で怒られたりなんてしない、と思う。遅くなったところでわざわざ晩飯を待ってくれるほど殊勝な家庭じゃない。今ごろ姉貴はソファーに転がってスマホかテレビのリモコンを相棒にしてるに違いない。とはいえ、お袋からは遅くなった理由を訊かれそうだなぁ……。
意を決して玄関をくぐ───
「どうだった……!?」
うわうるせっ。
こっそり帰宅したにも関わらずズパァンッ! と開けられたリビングの扉から野生の姉貴が飛び出して来た。ちょっと泥さえ付けばホントに野性的な恰好なのがまた……。てかもう割と肌寒いんだけど。女子って指先とか冷えやすいんじゃねぇの? 姉貴は例外なん? 専門家の指導のもとでワイルドライフ送ってんの?
「何でそんなテンション高めなんだよ。ダウナー系代表の姉貴がはしゃいでんのなんて
亜室
ちゃんが最後に紅白出たときぶりなんだけど」
「夏川さん」
「っ……」
すんっ、と名前を出されて肩どころか心臓が跳ね上がった。『姉貴の口から飛び出す名前ランキング』圏外のはずの夏川の名前が、なんで? え、もしかして見られてた?
頭の中でファンファンと警報が鳴り響く。そこからウィーヒザステップステップと続いた。マジで踊り狂って姉貴の頭から記憶を消し去ってやりたい。お袋に泣かれそうな気がしたからやめた。
「ななな何のこと、かな?」
「とぼけんな。あの子、アンタが生徒会室から出てくんの
健気
に待ってたんだからね」
「えっ」
何それ知らねぇぞ………待てよ? 確かに夏川は「待ってた」って言ってたけど、何で俺が文化祭実行委員の教室に居ることを知ってたんだ? 向かった時、あの場所には俺以外誰も居なかったはず……。
『───しっかりやんなよ』
…………あ。
そういや、姉貴からたった一言だけ変なメッセージが来てたな。いろいろ終わった後にあの内容だったからわけがわかんなかったわ。今から何をしっかりやんだよって感じだったけど、もしかしてアレは夏川の事だったってこと……?
「生徒会室出て横から外に出た階段。あそこにずっと座ってアンタを待ってたの。肝心のアンタは気付かず行っちゃってたけどね」
「え………」
は? え、何それ。想像しただけで可愛いんだけど。って事は姉貴が夏川を見付けて俺があの教室に居るって教えたのか。危ねぇッ……! 知らず知らずのうちにめっちゃ切ないすれ違いが起きるとこだった! 夏川を待ちぼうけにさせた挙げ句に放ったらかして帰るとか死ねるわ! ありがとうお姉様……!
俺が文化祭実行委員会に関わった理由───夏川があそこまで食い下がった理由が何となく分かった気がする。そりゃ散々待った挙げ句にはぐらかされるとか納得行かねぇよな。意地でも聞き出したくなる気持ちも解るわ。結局、ギリギリの言葉を使う事しか出来なかったけどな。
「で、どうなったん? てかこの前はスルーしたけどアンタら仲良い感じ? いつの間にそんな感じになってんの? 何かヤバい感じじゃなかったのアンタら」
「何だよ〝ヤバい感じ〟って………」
「何って、アンタが風邪でぶっ倒れる前にあったじゃん。家で、何かアンタが訳わかんないこと言ってたやつ」
「忘れろ」
珍しく踏み込んで来たなぁ………いつもの姉貴なら
揶揄
う程度の浅い訊き方しかしないのに。何で俺のそういう話だけ興味津々なんだよ。姉貴だって、二年くらい前のギャル時代の話を持ち出すと不機嫌になるし、生徒会のイケメンとの親密度なんて話題にしようもんなら露骨に話を逸らすだろうに。
「色々あったんだよ。姉貴と同じように、な」
「なっ………」
「あんがとよ、夏川に場所教えてくれて」
靴を脱ぎながら言葉のカウンターを繰り出すと、珍しく姉貴の頬に命中する手応えを感じた。礼を言えたのは過去をほじくり返されて不機嫌になる姉貴の気持ちが理解できたからだ。これも姉弟だからかね? ちょっと前まで姉貴と似ることなんて一生無いくらいに思ってたはずなんだけど。
固まった姉貴の横を通ってリビングに入る。今日の晩飯は和食だったのか、醤油テイストの匂いが充満してた。少し冷えた体には丁度良い。それに何だか今は優しい味を求めているような気がした。
「おかえり」
「ん、ただんます」
俺を見てソファーから立ち上がるお袋。晩飯の準備をしてくれるらしい、タイミングがずれたのが申し訳なくて謎に
畏
まった〝ただいま〟を返してしまった。親父はダイニングテーブルで何かの資料を見ている。
「…………?」
違和感を覚える。
リビングの空気感がおかしい。何か妙に張り詰めたものを感じる。親父は食後のコーヒーのカップを口から離さない。よく見たら目線がずっと固定されている気がする。お袋は世の中の男子高校生がウザったく感じるセリフランキングぶち抜いて一位の「今日の学校どうだったの?」を言わない。何ならこっちから「今日の学校普通だったよ」なんて報告してしまいそうになった。いや普通じゃなかったんだけど。
や、待てよ……?
「……っ……………」
気まずそうにリビングに戻って来た姉貴を見る。サッと目を逸らされた。俺が居るソファーの方に足を向けていたはずなのに台所の方に体を向け始めた。
………てんめぇお姉様ァッ……!! さっきの話お袋たちに喋りやがったな!? 親父はともかくお袋には鼻息荒くして喋りやがったな!? んでもって親父はその話盗み聞きしやがったな!? なんて野郎だコイツらッ……!
お袋ォ!
小豆
とゴマ塩を取り出すのやめろ! 何もめでたい事なんか起こってねぇぞ! 俺は肉じゃがか高野豆腐が食べたい!
親父ィ! それは仕事の資料じゃねぇ! 姉貴がこの前勝手に俺のバッグ漁って取り出した小テストだ! 闇の炎に抱かれて消えろッ!
姉貴ィ! それは551の豚まんやないッ! ファミマの肉まんやッ!