Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (197)
秋の空
一悶着ずつあった連日のイベントを終えた次の日は気怠い目覚めから始まった。怪我による発熱で汗だくの朝を迎え、ただでさえ大変な風呂に一晩越しに入ることになった。朝から体力を使い、お袋が作ってくれた茶碗一杯分のお粥を腹に入れて痛み止めと解熱剤を呑み込み、副作用で眠くなってもう一眠りして目覚め、今に至る。
「何だかな……」
ベッドの上、寝ぼけ眼でぼんやりと呟く。高校に上がってからというもの、梅雨の時期には学校でぶっ倒れ、秋には大怪我と何かと不健康な気がする。おかしい……俺の体は姉貴の理不尽なプロレス技から何度も復活を遂げ、技封じまで体得するほどの頑丈さを誇るハイスペックゾンビだというのに……。
「ん……?」
スマホが震える。起きてから枕元に置きっぱなしだった。
時刻は既に昼下がり。立ち上げるとメッセージ通知が二十件近く溜まっていた。昨日はクラスが打ち上げだったし、俺とは関係ないグループの更新もあるだろう。アプリを立ち上げると、俺個人宛に何人かからメッセージが届いていた。
【聴きたかっただろうから。お大事に】
「おお……」
クラス委員長こと
飯星
さんからはカラオケでの動画。再生してみると、そこには両手でマイクを握って歌っている
夏川
の姿があった。これだよ、俺はこれを求めていたんだ。これで俺はまた姉貴と戦える……!
【ほら、ありがたく思え】
「こっちも……」
山崎
からも同じような動画。今度は夏川だけでなく
芦田
も映っている。やはり持つべきものは友……! 知り合って一番の仕事をしてくれた。今度何か奢ってやろう。
「……え?」
そして今度は
松田
。席が近いだけでほとんど話したことがないフラットな関係だけど、何故か夏川が歌ってる動画を送ってくれていた。先の二人とは違う角度からの映像だ。わざわざ友だち登録して個人で送ってくれてるし、気を遣ってくれたのか……良い奴だな。
それから
安田
、
岩田
、
尾上
、他、何人かの女子からも夏川が歌ってる動画を───ちょっと、貴様ら? 本当に親切心だけで撮ってる? どことなく動画からお前らの劣情が伝わって来るんだけど? ローアングルはないのか。
どいつも無言で送って来てる感じ、松田と同じく気を遣ってくれてるんだろうけど……何だこの、自分のスマホの画面にベタベタと指紋を付けられるような感覚は。
「……!」
殺意を抱きながら他のメッセージの送り主を見ていると、とある名前が目に止まる。その表示名は、
一ノ瀬
優
。クマさん先輩こと一ノ瀬さんの兄貴だ。
【落ち着いたよ。どこかで連絡してくれると助かる】
「……」
どこか必死さを感じさせる言葉。その口調は先輩としてではなく、兄としての言葉のように思えた。妹のことを大切にしている事が伝わって来る。
昨晩、夏川との通話を終えた俺は一ノ瀬さんに心配かけてごめんとメッセージを送った。すると直ぐに一ノ瀬さんから着信がかかって来たものの、ほとんど会話にならなかった。電話の向こう側から聞こえて来たのは、一ノ瀬さんがしゃくり上げながら何かを覚束なく話す声。正直、まったく聴き取れなかった。
「まさか、泣かれるとは……」
一ノ瀬さんの兄である先輩にメッセージを入れて連絡したところフォローに入ってくれた。いわく、一ノ瀬さんは俺の怪我の
報
せに大きなショックを受け動揺しているということ。予想だにしない事態にただただ恐縮する思いだった。夏川に対してアルバイトと言ったのは嘘だろう、前に一ノ瀬さんから聞いてたシフトと違ったわけだ。
「……ふぅ」
少しドキドキしながら一ノ瀬さん宛に「こんにちは、いま電話大丈夫?」と尋ねる。一分後くらいに「はい」と返ってきた。「じゃあ、かけるね」と言って、通話ボタンを押す。聴き馴染みのあるメロディーが流れると、プッ、と切り替わる音が鳴って繋がったのがわかった。
「えと……昨日ぶり、一ノ瀬さん」
『……こ、こんにちは』
「昨日から、落ち着いた?」
『は、はい……』
可能な限り優しく囁き掛ける。アルバイトで一緒になったばかりの当初、一ノ瀬さんと初めてコミュニケーションを取り始めた頃にも同じようにしていた。懐かしく感じる。返ってきた声はまるでモーニングコールでもしたかのように
もしょもしょ
としていた。
「その、ごめんね? 心配かけたみたいで」
『わ、私の方こそっ……何も、声をかけられずに……』
「俺が勝手に怪我したことだから、気にしないで良いよ」
『……』
「とは、いかないのか……」
電話の向こう側から伝わって来る気まずい雰囲気。本当にアルバイトでようやくコミュニケーションが取れ始めた頃に戻ったかのようだ。そもそも気安いと言えるほどの仲でもなかったけど、ある程度は遠慮が無くなっていたはずだった。
遠慮に遠慮をぶつけても、距離は縮まらない。だから、怯えられることを覚悟で一歩踏み込む。
「心配してくれるのはありがたいけど……その───泣くほどだった?」
『……っ……』
少しおどけるように、しかしからかう様なニュアンスを含まないように尋ねてみる。そうやって一ノ瀬さんの真意をうかがう。間違えてはならない。
『……怪我は、だいじょうぶ、ですか?』
「ん、大丈夫だよ」
急に話が切り替わり、思わず面食らってしまう。少し戸惑いながらも大丈夫とだけ返し、強がってみせる。実際は日常生活において苦労してる面もあるけど、俺も男だ。女子に対して弱音を吐きたくない。
『───たった、これだけの事が……昨日は言えなくて』
「え?」
『ごめんなさい』
頭に疑問符が浮かぶ。別に一ノ瀬さんは何も悪くない。当事者でもない一ノ瀬さんが俺の怪我を気遣うかどうかは一ノ瀬さんの自由だ。正直、休み明けに何の気もなしに「おはよう」と挨拶されたところで何も悪くは思わない。別に俺は、一ノ瀬さんから優しさを受けることと引き換えに仲良くしてるわけじゃないんだ。そんなものは友情でも絆でもない。
「優しいな、一ノ瀬さんは」
『───ち、ちがっ……!』
「え?」
まさかの否定に驚いて訊き返してしまう。一ノ瀬さんの優しさは本の扱い方を見て知った。ときにはそれが弱さとして姿を変えるかもしれないけれど、それが無ければ今の一ノ瀬さんは居なかった。一ノ瀬さんを形づくってきた重要な要素なんだ。今さらそれが一ノ瀬さんにないというのは、納得できないし、無理がある。
『
佐城
くんが病院に行ったって聞いて、何よりも先にがっかりしたんです。〝明日のお出かけは〟って。きっと、無くなってしまうんだろうなって』
「……」
『そんな、自分のことしか考えられないのが嫌で……佐城くんに連絡しようとしても、かける言葉も、タイミングもわからなくてっ……』
「あの、一ノ瀬さん───」
『お見舞いに行きたくても、どこの病院かもわからなくてっ……家もわからなくてっ……佐城くんのことっ、何も知らなくてっ……!』
「一ノ瀬さん」
『ごめんなさいっ……! 何もできなくてごめんなさい……!』
「…………」
悲鳴のように伝わって来たのは、ぐちゃぐちゃになった一ノ瀬さんの感情だった。実際その通りなんだろう。自分の気持ちが定められず、どうしていいか分からず、あまりに自分が無力に思えてしまう。それが自分本意な感情と他者への思いやりとの板ばさみになっているのなら尚更だろう。似たようなもどかしさを、俺も感じたことがある。項垂れることしか出来なかったのを思い出す。
ただ、一ノ瀬さんはその感情を言葉にして俺に伝えて来た。素直に凄いと思う。不器用なら自分の気持ちを上手く言葉にすることができない。一方で、器用なら自分の中で消化しようとしてしまう。とても、難しいことのはずなのに。
「嬉しいけどね、俺は」
『……ぇ………』
「それだけ、今日のデートを楽しみにしてくれてたんでしょ?」
『えっ……!? あっ……!』
これはデートではないと主張する論客が居た。その一言に込められた攻撃力はあまりにも大きく、心に今の今まで継続ダメージを与えられ吐きそうになっていた。けれど、一ノ瀬さんの涙ながらの「デート行きたかった! うわーん!(※言ってない)」の言葉に俺の心はぽっかぽかだった。きっと明日にはギャグ漫画のように左手治ってると思う。
「違った?」
『ひゃっ、あっ、ちが、くは───そのっ……!』
「この埋め合わせは、必ずするから」
『ぁ……』
「だから───今日は、ごめんな。ちょっとだけ休ませて」
『は、はぃぃ……』
事実上、デートをドタキャンしたのは俺だというのに。こんな優しい女の子が居て良いものだろうか。あれ……もしかして一ノ瀬さんって、仕事上の関係じゃなければかなり良い子なのでは……。
「また明日、学校で」
『は、はい……また』
「それじゃあね」
そう言って、少し間を空けてから通話を切った。
気分は晴れやか。まだ落ち着かない様子の一ノ瀬さんには悪いけど、左手の痛みを忘れるくらい穏やかな気持ちになった。単なる薬の副作用だったりしてな。今なら良い夢が見れそうだし、早く治すためにももう一眠───り?
「………」
「………こんにちは」
「……あ、えっと、どうも」
手に持っていたスマホが紺色のスウェットの
腿
のあたりに滑り落ち、その衝撃でようやく喉が動いた。しかし次の言葉を紡ぐ間もなく、部屋の入口から中に足を踏み入れた論客───夏川は、無表情のまま右手に提げたエコバッグのようなものをベッド横のナイトテーブルの上に置いた。
「これ……お見舞い」
「あ、サンキュ……そんな、良かったのに」
エコバッグの中からはよくありがちなプリンにポカリ、パックの野菜ジュース、おにぎりなど───おにぎり!? ラップに包まれてるけど!? 夏川さんの手作りですか!?
「あの、これ……」
夢か
現
か、論客とも思えない女神っぷりにおにぎりと夏川の間で視線を交互に
彷徨
わせながら、誰が握ったものか確認しようとしていると、俺の左手にそっと熱が伝わる。
「これが……」
「あ……な、夏川」
持ち上げず、そのまま俺の左手を両方の手で包み込んだ夏川は、上向きになって赤色が染みている患部を痛々しそうに見つめた。普通ではない処置が施されているから、その
仰々
しさは他者から見て目も当てられない程であることは言うまでもない。夏川の視線だけで俺の皮膚の再生がチリチリと加速した気がした。
「……痛い?」
「まぁ……痛み止めがあっても、まだ少し」
「……ドジなんだから」
「な。ほんとに。馬鹿だよな……」
論客とか言ってごめんなさい。貴女は女神です。これからも一生推していきます。そうだ、部屋に神棚を飾ろう。このおにぎりを御神体として毎日祈りを捧げ、我が神通力をもって夏川が永遠に星座占いで一位を取ることを実現させようではないか。喜べ、全国の十月生まれ。
「───ごめんなさい」
「え……」
「お大事に」
「あっ、夏川」
空になったエコバッグを手に、速やかに部屋から出て行く夏川。引き留める間もなく階段を降りて行く足音がする。急展開すぎて追いかける暇もなかった。
「……〝ごめんなさい〟?」
デートという呼び方を否定したことだろうか。その割には……あまりに儚い表情と声色だった。夏川を苦しませるに足りうると思えない。だとしたら、いったい何に対して謝罪を口にしたのだろう。
『───ごめんなさい。今……恋愛とか、興味無いから』
「………くくっ、慣れたもんだ」
その言葉を聞いたのは、何度目だろうか。
揺れて、変わって、移ろう心。一つ分かれば、また一つ謎は深まる。誰かのために怪我ひとつ負ったところで、秋の空を見通すのには何の役にも立たなかった。