Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (109)
話し合い
他所の家庭の兄妹仲が危うい件について。一ノ瀬さんの”兄離れ”に対する覚悟はバイトに臨む姿勢で見せてもらったし、何より聞いちゃったからには力になりたい気もする───けど、実際のところ今の一ノ瀬さんが先輩の事をどう思ってるかは分からない。前はあのクマさんのようなお腹を背もたれにして読書に耽るほど大好きだったらしいけど、そういったものが一気にひっくり返ってしまったなんて事も考えられなくはない。
知ってるようで知らない。手出しのしようがない。でもここで俺が離れたとしても
埒
が明かない展開になりそうだ。ここはいったん静観するしかない。
「
深那
、僕の話を聴いてくれないかな?」
「っ………」
いよいよ言葉を投げかけられビクッとする一ノ瀬さん。俺にとっちゃウザったらしい客に比べたら一億倍怯える必要の無い相手だ。寧ろ今の一ノ瀬さんならそっちの方が堂々と振る舞えるんじゃない?親しい奴ほど間に亀裂が入ったときにどうしたら良いか解んなくなるかんな。
先輩は一ノ瀬さんから目を逸らさない。今この場で自分と妹とのすれ違いをどうにかしてやるという気概が感じられる。成る程、どうりで四ノ宮先輩の下で風紀委員に属してるわけだ。どっかに通ずる部分を感じる。
「わ、わたし、は……………」
対する一ノ瀬さん。やっとの事で発した声は酷く震えていた。
今までずっと兄に守られ、包まれ、温もりを与えられて来た一ノ瀬さんがその兄から四ノ宮先輩のような強い意志のようなものを向けられている。今までに同じ様な事は有ったんだろうか、きっとない。多分だけど先輩は性格的に諭すように叱るタイプだ。俺が弟だったら自分が叱られてるという自覚もないまま言動を改めてると思う。
「───………っ…………」
一ノ瀬さんは助けを求めるように俺に目を向けた。ちょっと待って何そのキラーパス。無理だから。何なら場を繋いでやっと一ノ瀬さんに渡したばかりだから。お願いもうちょっと頑張って、後でマシュマロ買ってあげるから。タピオカミルクティーでも良いから。
頭
を振って『言ってやれ』と目で訴え返す。そしたら一ノ瀬さんは目を見開いた後、今度はきゅっと
瞑
ってから先輩を見上げた。
「…………なに、おにいちゃん」
お?顔つきが変わった?しかも見上げる目がちょっとだけ細くなっていかにも臨戦態勢と言った感じになった。後ろに威嚇するレッサーパンダが浮かんで見える。俺のジェスチャーを変に受け取ってなきゃ良いけど。
先輩はそんな一ノ瀬さんの様子に驚いてるみたいだ。タラリとこめかみから伝ったのは冷や汗か。スーツ着たパンダが困ったようにハンカチで汗を拭う姿が浮かんだ。何でこっちはキャラクターチックなのかは俺にも解らない。
「その、由梨ちゃんとは1年生の頃からの仲なんだ。今までは学校で会ったら話す程度だったから、君が由梨ちゃんの事を知らなかったのは当然だと思う。それでも、風紀委員で2年半一緒に過ごして来た僕にとっては、とても大きな存在なんだ」
「………」
「付き合い始めて、君をほったらかしにしてしまったのは僕が悪かったよ。前みたいに一緒に本を読もう、一緒に寝よう」
ちょっと待って一緒に寝てたん?
や、うんまぁ……別に良いんじゃない?その……不純な事とか無けりゃ何の問題無いっつーか。親も容認してるなら何の心配も無いというか。どっちにしろマジで仲良かったのね………コレで一ノ瀬さんがもし佐々木の妹とかだったらもう大変な事になってたと思う。ガンバ、佐々木。
「……っ………」
音の無い意思。表情が全てを語っている。何が一緒に本を読もうだ、何が一緒に寝ようだ───そんな不満がありありと見て取れる。優しい兄に眉間のシワを向けた事が無いんだろう、睨むように見上げて、目を伏せて、そんな葛藤が感じ取れて見てるこっちが苦しくなって来た。
まあ、きっと”そういう事”じゃないんだろ。
私のお兄ちゃん。私だけのお兄ちゃん。兄貴を割と深めに慕う妹の気持ちは実際に妹をやってるYさんから前に力説してもらった事がある。誰にも渡したくない、自分以外を抱き締めて欲しくない、自分以外の女を見て欲しくない、私だけを見ていれば良い。そうです、これは極端な例です。
言っちまえば、一ノ瀬さんは由梨ちゃん先輩と別れて欲しいんだろ。兄の柔らかなお腹を、温もりを奪い、自分だけの居場所という独占権を崩した由梨ちゃん先輩を受け入れる事ができないんだ。そして、それがただの我儘という事もきっと自覚してる。
「……深那………?」
言えるわけがない。だって先輩は何も悪くないんだから。高校の3年───受験の時期になって初めて手に入れた淡い青春。きっと先輩はそれを大切にしたいと思ってるだろうし、一ノ瀬さんだって自分の事だけじゃなくて、兄に幸せになって欲しいっていう思いがあるはずだ。
吐き出すか、押し殺すか。
「───こは………」
「え?」
「そこはっ………もう由梨さんの場所だからっ」
「深那………」
大きな垂れ目。しっかりと先輩に向けられた瞳は揺れていた。ぶっちゃけそれがどんだけ
辛
いかとか解んない。妹とかなったことないし、てかなれねぇし。何なら欲しいし。
「深那………由梨ちゃんはそんなの口出ししないよ」
まあ食い下がるわな。てかマジで由梨ちゃん先輩も口出ししないわな。妹だし。
一ノ瀬さんがお兄ちゃん大好きなように、先輩も妹の一ノ瀬さんの事が大好きみたいだ。健全──健全?なようで何より。どっかの兄妹とは大違いだ。ガンバ大阪。間違えた佐々木。
「でもっ……!由梨さんにわるいからっ……!」
「そんなこと気にする必要無いよ。何も遠慮しなくて良いんだ」
残酷な甘言。一ノ瀬さんの本意は先輩に伝わらない。
そりゃそうだ。一ノ瀬さんがここまで頑張るのは”兄離れ”したいから。そんな理由でアルバイトまでして頑張る妹なんて日本のどこを探しても一ノ瀬さんだけだろ。そんな思いも寄らないものに先輩が辿り着けるわけがない。ましてや、”由梨ちゃん先輩”が染み付いたその懐に身を預けたところで、もはやそこは一ノ瀬さんが求める居場所じゃないんだ。
どっちが正しい……?どっちが間違ってる……?
先輩はただ由梨ちゃん先輩と付き合っただけだ、何も悪くない。そんな現実を受け入れられなくて一ノ瀬さんは逃げ出した。その挙げ句に辿り着いたのがあの古本屋で、いっぱいいっぱいになって畳に頭を
擦
り付けてまで今もまだ逃げ続けている。
「アルバイトを始めたのも、たぶん僕が理由だろう?お金に困ってるわけじゃないのに、そんな事する必要はないと思うんだ」
「そ、そんなことないっ………」
必要無いな、うん。
一ノ瀬さんの趣味って読書だよな?新冊本ならデカい出費かもしんないけど、
選
り好みしないタイプだから古本屋で済む。ちょっと古いやつなら百円一枚で買えたりするから金に困る事は無いんじゃないか。月に五千円も小遣いが貰えれば一日一冊のペースで読んでも時間が足りないくらいだ。
「接客業は大変だと聞くよ。深那にそんな
辛
い思いをさせたくないんだ」
「つ、つらくなんか………」
「深那」
「ぁ………」
ホントにできたお兄さんだ。後輩としてこんな先輩と知り合えた事を誇りに思う。少しでも良いから爪の垢を煎じて姉貴に飲ませてやりたいくらいだ。こんな優しいキョウダイが居て一ノ瀬さんがめっちゃ羨ましい。いやもうどっちが間違ってるかとかどうでも良くね?
そんな事を考えてると、入り口の方でパタパタと走る音が聴こえた。
「お待たせ!一ノ瀬くん!」
そりゃねぇっすよ由梨ちゃん先輩。