Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (126)
少女はまだ見続ける
朝のホームルーム。担任の
大槻
先生が何かを準備している最中、教室内はガヤガヤと同級生が話す声で溢れていた。だからと言って席を離れてまで話そうとする子は誰も居ない。
「……っ………」
普段はおどけてばかり。周りの女の子達はそんな彼をやんちゃな小学生を見るようにクスクス笑っていた。だから、特別誰かに淡い感情を持たれるようには思えなかった。だからこそ、衝撃的だったのだと思う。
目線の先、教室の廊下側一番前。
件
の彼と親友の圭がいつも以上にはしゃいでいる。それを見て机の上を人差し指でコツコツと鳴らす音が強まった。今朝、寝起きに感じたもどかしさとは違う、もっと別の感情が入り混じったもどかしさ。
(圭っ……!)
渉が懐にしまったもの。あの手紙が淡い想いの詰まったラブレターだったのかは分からない。それでも自分や側に居た彼女が大いに関心を示すものだったのは間違いない。何故なら“あの渉”宛の手紙だからだ。他の男の子とは違う、“特別な彼”の──。
(ああっ……もう!)
いや今はそれどころじゃない。視界の端でわちゃわちゃとしてる二人は端から見ればイチャイチャしてるようにも思える。何でそうなってるかは予想がつく。圭が渉に向けられた手紙の内容に興味を持って色んな角度から知ろうとしてるからだろう。その方法が普通じゃない。
後ろから机越しに、渉に覆い被さるように手を伸ばして懐を狙っているからだ。
もちろん圭が本気じゃないのは解ってる。あの顔はラブレターをもらったかもしれなくて少し挙動不審になってる渉をからかって楽しんでいる顔だ。彼女はその“わちゃわちゃ”を楽しんでいる。それに集中してるせいか、自分の体がどんなふうに渉に当たってるかに全く気付いていない。
それだけじゃない、渉の方に身を乗り出しているためスカートの丈がかなり危うい。後ろに座ってる男の子に向けてお尻を突き出すようになっている。男女意識の低い二人にイライラ、無防備すぎる圭に対してハラハラしてしまう。
一頻り楽しんだのか、わざとらしく口を尖らせて席に着く圭にホッとする。同時に、親友を直接注意出来なかった歯痒さと、無防備な彼女を諌められなかった渉に対する苛立ちが遅れてやって来る。
それも束の間、言いようも無い疎外感が胸の奥を冷たくした。
(………いいな)
楽しそう。あの二人の輪に入りたい。
これは小さな本音。万が一でも誰かに聞かれたら間違いなく恥ずかしい。それが圭なら迎え入れてくれた上で容赦無くからかって来るだろうに違いない。
どの道、今の自分は2人からあまりにも遠過ぎた。
◇
(え………)
「……あー………」
大槻
先生の提案で行った席替え。ひと足早く机を移動し終わって、後からやって来た男の子の顔を見て固まる。目が合うと、彼は気まずそうに目を逸らしてその机をすぐ前の壁際にくっ付けた。
「え……!? 佐城くんの後ろ夏川さんなの!? 良かったじゃん!」
「前は離れたなーなんて思ったけど、やっぱ佐城の執念ヤバいよな〜!」
隣の列の相部さんと松田くんからとんでもない言葉が飛び出す。少し前まで周りに言われても何とも思わなかった。でも、今はその時とは事情が違う。
(何てこと言ってくれるのよ……)
綱渡りの綱を遊び半分で大きく揺さぶる様な、デリカシーに欠けた発言。昨日の出来事が無かったとしても多少の気まずさが生まれたと思う。少なくとも本人の居る前で直接話す内容じゃないように思えた。
恐る恐る渉を見る。というよりそれ以外に“自然な振る舞い”が思い浮かばなかった。気まずそうな目の色は変わらず、どう見ても引きつった作り笑顔で彼は目を合わせて来た。
「………その、よろしく」
「う、うん……」
目の前の彼──渉の心情が容易にうかがえた。間違い無く今の自分と近しい気まずさを感じている事だろう。この状況は良くない。目と目で頷き合い、何とか息を合わせるようにやり取りした。
(……ん………)
気まずさは残った。だけど胸の内でろうそくの小さな火の暖かさがじんわりと広がった。
そこで気付く。そうだ、渉は自分のすぐ前の席なんだと。
(………)
席に着いて落ち着くと、渉はソワソワしながら周囲を見渡す。その姿を見ながら、先程の彼と圭とのやり取りを思い出す。楽しそうに笑って、遠慮無く、男女の差なんて忘れるように──。
「ね、ねぇ………」
「…………ん、どした?」
気が付いたら話し掛けていた。まさかそのまま会話が続くと思っていなかったのか、彼は一拍置いてから言葉を返した。新しい席に居住まいが落ち着くのを見届けてから、勇気を出して少し顔を近付ける。
「その………み、見たら?」
アレの中身が気になるのは自分も同じ。内容なんて知らなくても良い。知りたいのはそれがラブレターだったか、そうじゃなかったかだけ。圭があんなにも踏み込んだのだ。それなのに自分だけ遠慮して様子を窺うだけなのは何だか気に入らなかった。
「……覗き見しない?」
「し、しないわよっ………」
なんて事を言うのだ。その部分こそが圭と自分の違い。ラブレターのようなデリケートの塊を使って人をからかったりなんてできない。そんな事をして距離を置かれるのは怖すぎる。圭がそんな事をできたのは日頃の奔放さの賜物だろう。
そこに関しては少し、いや、そのさらにもう少し圭が羨ましく思えた。
「………わかったよ」
前言撤回。圭がハードルを低くしてくれてた気がする。多分、あのちょっかいが無かったら渉は家に持ち帰ってから手紙を開けてたかもしれない。今だって断られていたかもしれない。
ゴソゴソと懐を探る渉。いよいよ読むのか。ちょっと待って、左の窓の反射で彼の手元が見える。どうしよう、もしかして覗き見する事になっちゃうんじゃ……?違う、これは不可抗力だ。偶然見えてしまうだけだ。いや、でもだからと言って──。
「んじゃあ──」
「佐城くんも宜しく〜」
「ダスッ!?」
なんて事を思っていると、渉の前の席に座る岡本さんが後ろに振り向いた。今まさに手紙を取り出すところだったんだろう、渉は世にも珍しい鳴き声を上げて右手を机の上に打ち付けた。
(───もうッ!!)
誰が悪いとかじゃない。そう、これは岡本さんの間が悪かっただけの話。にも関わらず心中で叫んだのはそれでも“惜しい”という思いで頭の中を埋め尽くされたから。
「ああいやッ、うん、何でも。宜しく、うん」
「宜しくね。あ、夏川さんだ〜、近くになれて良かったね佐城くん」
「うっ……そだな………」
しどろもどろになる渉。そして、その向こうに居る岡本さんもまた相部さんと松田くんと同じような事を言う。からかうような意図は感じない。そんなにも遠慮無く言える事なんだと、ようやく気付いた。
誰のせいかと言われれば渉としか思えない。あの頃を思い出せば
人気
の有る無し関係なく騒いでいたようにも思う。つまり渉の気持ちも、それに対する自分の気持ちも皆に知られているということ。
(でも、今は───)
あの頃のままじゃない。昨日よりももっと前から関係は変わっていたと思う。渉が鳴りを潜め、周りを眺める機会が増えると自分は今を楽しむ事をただ流されるように楽しんでいた。思えば浮かれていたんだと思う。
渉が少し距離を置こうとしてた理由は今だからこそ解る。でもあの頃はそれがどうしてなのか理解出来なかった。たった一人が居なくなるだけ。それなのにどうしてあんなに名残惜しい気分になるのか解らなかった。圭が居ない時に寂しくなるのと同じ感じだと気付いたのはもっと後の事だった。その時でさえ、まだ
忘れて
いた。
「……? ああ白井さんね。や、白井さんも一ノ瀬さんの隣とか前後って訳じゃなくね?」
(───!)
聴こえた声にハッとする。一人になってどこか深い所に嵌って居たように思う。渉の“一ノ瀬さん”という言葉を聴いて我に返った。
一ノ瀬さん。一ノ瀬
深那
さん。夏休み前まで目立たなかった前髪の長くて小さく大人しい女の子。そのくらいしか印象は無く、今もまだ話した事は無い。二学期になってその前髪を短くしてからその印象を大きく変えた。大きくクリっとしたタレ気味の目、自信が無いのかその目をいつもうるうるさせて居てとても庇護欲を掻き立てられる。その姿があまりにも可愛らしくて自分もお近付きになりたいとさえ思った。
「佐城くんは余裕あるから良いなぁ。なぁんか一ノ瀬さんに懐かれてるし」
でもそんな彼女は注目される事が怖いのか、何故か渉の背中に隠れてピッタリとくっ付く。ピッタリと。体を密着させる。それを許す渉。驚いて言葉を失ったのは記憶に新しい。不健全に思って慌ててその間に腕を差し込んだ自分は間違ってないと思う。絶対。
それもだけど、話はどうして一ノ瀬さんが渉に懐いてるのかという事。何度訊いてもはぐらかされたものの大体予想は付いている。夏休みのアルバイト先の子だ。その子との話は何度か聞いてるけど、内容が内容だけにはぐらかす気持ちは解る。
でも、確かその子とは仲違いしてしまって何とか持ち直したくらいの関係じゃなかったか。しかもその子はお兄さんが大好きではなかったか。それなのにどうして渉に懐いているのか。
(実はバイト先の子じゃない……?)
「ああ、えっと……うん、いいだろ」
(良くない)
実は個人的な交流があって親しくなったんじゃないだろうか。そんなふうに渉を疑ってしまう。何にせよ夏休みという短い期間で自分よりも固い何かで二人が結ばれているのは無性に納得できないものがあった。
「──んっ、ん!」
──うっ。
これ以上の“一ノ瀬さん”は自分にとって藪蛇だと思って喉を鳴らしたつもりが思ったよりわざとらしくなってしまった。不思議そうにこっちを見る渉と岡本さんに思わず萎縮する。
「その……」
「あっ、夏川さん。別に佐城くんに迷惑かけられてるわけじゃないよ」
「えっ」
「待って
岡本
っちゃん何その報告」
えっ、岡本さんのことそんなふうに呼んでるの?
思わず全部声に出すところだった。どうも渉が自分や親友の圭以外と接しているときの言動が残ってしまう。やっぱり昨日の事が原因なのだろうか。胸中に生まれるこのモヤモヤは何なのだろう。また“正体の分からない納得できないもの”が積み上がっていく。
「そう、なの……」
誰かにぶつけても理不尽でしかない。どうにか冷静さを取り戻すと今度は岡本さんの言葉が気になった。
“渉はトラブルメーカー”。まるで自分がそう思ってるような口ぶりだった。確かに、渉がまだ付き纏っていた時はそう思っていた。きっと岡本さんにとって自分達の間柄はあの頃のまま変わってないのだろう。
「えへへ、間近で“佐城くんと夏川さん”が見れるなんて楽しみ〜」
(───ッ!!)
時が止まったような錯覚を覚えた。耳が周囲のあらゆる音を拒んだ。思わず手が胸に行く。胸が痛いのか、痛くないのか、よく分からない。
“佐城くんと夏川さん”。それは渉が自分に付き纏って、それを自分が迷惑だとあしらっていた時のやりとりの話だろうか。今の渉が、自分がそんなやり取りをできるわけがない。岡本さんに悪気が無いのは解っている。それでも思ってしまう、どうしてそんな残酷な事を言うのだと。
嫌な予感が胸を突く。ああ言われて渉はどうするつもりだろうか。そもそも彼はまだ自分にそういった感情を寄せているのだろうか。もしそうでないとして、まさか自分を押し殺してまで私に付き纏うフリをしたりはしないだろうか。
不安になって思わず渉の顔を見る。
「期待には沿えないかもだけどな。なぁ? 夏川」
「──ぁ……えっと………う、うん」
あまりに軽いトーン。本気なのか、装っているのかは読めない。
良い言葉を選んだとは思う。暗に“佐城くんと夏川さん”はもう見せられないのだと、そう解釈してもらうのに最も優しい言葉だと思う。
でも、何だろう。
(……そんなに軽く言えるものなの……?)
たとえそれが装って出た言葉だとしても。自分ならともかく、渉にとってあの時間は、そんな簡単に吐き出せるものだったのか。納得できないものがまた一つ積み上がり、それが何だか苦しくて思わず目を伏せてしまう。
「え……あれ? そういえば最近、名前とか……………あっ」
ハッとして顔を上げる。その瞬間、岡本さんの目線がそっぽを向いて渉に戻った。
(いま…………見られてた?)
どうだったかは分からない。疑いばかりが胸に渦巻く。消化しきれないものが溜まり続ける。一ノ瀬さんの事、昨日の事、渉に向けられた手紙。周囲からの印象。
それから───
「そ、そうなんだぁ……」
「ああ、ごめんな?」
渉の心も。