Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (76)
女神は走る
「ごめん! まだ時間あるなら来てくれないかな?」
体育館から教室に引き上げて一息ついていると、先輩たちは荷物をまとめて教室から出始めた。念のため佐々木くんが尋ねてみると、もう出番は無いらしく後は帰るだけとのことだった。先輩たちに倣って机に広げたままだった資料をまとめていると、隣の教室から文化祭実行委員会の先輩がやって来てお願いされた。
「え、まだ作業やるんですか?」
「今日に限って連絡が取れた有志があまりにも多くて……原則その日のうちに内容をまとめないと駄目なんだ」
「うーん……わっかりました」
部活の方は都合がつくのか、佐々木くんはあっさりと実行委員の方を優先した。後で訊いたところ、サッカー部の夏の試合はもう終わっていて、一段落付いたところだったらしい。時期も時期だし、あまり触れないようにしておこう……。
学校に残る理由ができて、胸の内である思いが膨らむ。片付けが終わったら来てね、と残す先輩に荷物の少ない佐々木くんが付いて行く。教室から出て行くのを確認すると、私は一度文化祭実行委員の教室を通りすぎてその奥の教室に向かった。
風紀委員会。
体育館から帰って来て少し時間が経っている。もし風紀委員も引き上げているならその中に渉も混じっているかもしれない。それなら、せめて一言交わすだけでも。
「………話せるかな」
少し前までならこんなふうに思うことは有り得なかった。私に付き纏い、何度拒絶しても離れなかった男の子。高校に入学してからもうっとうしさを増すばかりで、もう関心なんて抱かないものだと思っていた。でも、どうしてだろう。直ぐそこに居るのに、話すこともままならないのが物足りなく感じて仕方ない。どうして自分はこんなに納得の行かない気持ちになっているのだろう。
風紀委員会の活動拠点。教室そのものが使い込まれているのか、他の教室より独特の事務的な匂いが漂って来た。中からはガヤガヤとした声が聞こえる。どうして渉が風紀委員と同じ立場で参加しているのかは分からないけど、覗いてみることにした。
扉は、開いていた。
「………あ……………」
中をこっそり窺う。談笑する声は多少あるものの、風紀委員の人たちは書類を片手に教室内を行き交っていた。真面目に話をする先輩、何やら難しい内容の話をする先輩。声と声が入り混じる雑多な空間に見えるものの、ちゃんと活動としてハマっている光景のように思えた。たぶん、ここの人たちにとってはこれがいつもの日常なんだろう。
その奥、ノートパソコンを広げる人たちの中に、渉は居た。
知らない先輩から書類を受け取って、それを見ながらパソコンに書類の内容を打ち込んでいるようだ。真面目な横顔、顎に手をやる仕草、この角度からはどれもが見た事の無いもので、まるで会った事の無い人の様に思えた。渉、あんな顔できるんだ……。
「………忙しそう」
さっきの体育館のときと同じで、とても話しかけられるような状況に思えなかった。たぶん渉はああやってちゃんと〝仕事〟をしに来ているのだと思う。不真面目な印象を多少なりとも持っていたからか、そうやって仕事をする渉に少しだけ見入ってしまった。
「……」
今じゃないよね……。そう思い、足を文化祭実行委員の会議室の方に向ける。渉はさっき私の事に気付いていた。それなら終わった後にでも会いに来てくれるかもしれない。もしそうなったら何を話そう。愛莉がこの前のことを思い出して会いたがっていたこと。圭から聞いた面白い話。夏休みになってから、普段どんなことをしているのか──。
◇
「───かわさん。夏川さん?」
「えっ?」
肩を叩かれてハッとする。呼びかけてきたのは二年生女子の先輩だった。何度も名前を呼んでいたのか、どこか心配そうに私の事を見ていた。
「今日は終わりだよ。熱中してたの?」
「あ……」
ぼうっとしていた事に気付いて慌てて目の前の書類を見る。今まで何をしていたのかあまり思い出せない。けれど、目の前を見ると何枚も書き込んだ書類が積み重なっていて……無意識に手を動かし続けていたようだった。おかしいな……ついさっき始めたばかりだったんだけど。
周囲を見渡すと、今日の活動を終えたのか帰ろうとしている人たちばかりだった。さらに見回すと、机の上に書類を広げているのはもう私くらいだった。隣を見ると、佐々木くんも先輩と同じような顔をして私を見ていた。
「横から見た感じ、区切り悪そうだったからさ。一応まだ声かけなかったんだけど……」
「あ、えっと……そうなんだ」
妙に恥ずかしくなり、手を早めて書類を片付ける。持ち帰る事はできないから、また次に再開しやすいように順番に重ねて先輩に渡した。目の前がすっきりすると、思ったより自分が疲れていることに気付いた。
「今日やんなきゃいけない分はもう確認とれてるからね。今日はありがと、お疲れ様」
「はい! 先輩もお疲れ様でした」
先輩が離れて行くのを見届けると、周りと同じように帰り支度を進める。時計を見ると、作業を始めてから一時間半ほどの時間が過ぎていた。そんなに経っていたんだと、自分の集中力に驚く。いや、集中力とは少し違ったのかもしれない。
「夏川はこれからどうするんだ?」
「え? 私は………ぁ」
「えっと……実はサッカー部の先輩から『今から来い』って連絡が来ててさ。さっきも言ったんだけど、良かったら観に───ん? 電話?」
───帰る。そう言おうとして、さっきまで自分が何を考えていたのかが気になった。この委員会活動の後、何かをしようとしていて早く時間が経たないかとじれったく思っていた。それが何か、どうやったらこの胸のモヤモヤは晴れるのか、さらに考えて思い出そうとする。
「お、おう有希。どうかした───」
『───! ───!?』
「うわっ!? ちょ、落ち着けって。え? いま誰と話してたかって……や、ちょっと待て。そもそもお前───」
電話中の佐々木くんと一緒に廊下に出る。西日が傾いて直接日差しが廊下に注がれているからか、肌に纏わり付くようにムワッとした空気になっていた。それとは反対に、廊下に規則的に並ぶ窓の影が奇麗だった。そんな時、視線の先にある教室の名前が視界に入った。
“風紀委員会”。
「! ごめんねっ、佐々木くん!」
瞬間、自分が何をしようとしていたのか思い出した。それがどんな内容だったかをたどって改めて気持ちを切り替えると、気が付けば早足で歩みを進めていた。
「あっ!? おい夏川───あ、いやその有希、夏川ってのはだな───」
扉が半開きになっている風紀委員会の教室の中を覗くと三、四人の先輩が今まさに帰ろうとしているところだった。辺りを見回しても、その中に渉の姿はもう無い。それを実感すると心臓の鼓動が焦るように速まったのが分かった。
もしかして、もう帰った……?
〝じゃあ仕方ない、諦めよう〟。どうしてそれで済まされないのか、自分でもよくわからなかった。普通に家に帰って、また愛莉の居る家でいつもの日常に戻れば良いだろうと。そしてお母さんと一緒に買い物に行って、夜は何を食べようかなんて話して……そうやって、幸せな日々を紡いでいって──。
「……ぅ………」
女子高生って、何だろう。
幸せだとしても、このまま何の変化も無い日常を過ごして行くのが何だか嫌に感じた。自分が想像していた高校生活はもっと賑やかだったはずだ。
声に出すのが恥ずかしい。何か言われたら怖い。そうなるくらいならただ日常に身を預けて愛する家族と一緒に時間が過ぎて行くのを待てば良い。そんなふうに待ち受ける幸せより前に、私の中で贅沢の過ぎる思いが膨らんだ。
〝寂しい〟。
昇降口へ続く階段を通り過ぎて他の棟に続く吹き抜けの通路に出る。そこから外を見渡すと、中庭と昇降口から校門に続く道が見えた。中庭には部活の見学を終えたらしい中学生たちが輪になって集まっていた。部活を終えた在校生たちと親しげに話している。ちょうど入れ替わりの時間だったんだろう、手前の昇降口の方は
人気
が感じられなかった。
「───ぁ……!」
──いや、誰か居る。
カタンと、何かを床の
簀子
に放る音がここまで伝わって来た。聴き馴染んだ金属製のシューズボックスのふたを閉める音。そして昇降口から姿を現したその男の子は、ローファーのかかとをトントンと地面に触れさせ、学校のサブバッグを肩に引っ掛けながらのっそりと外に出て来た。西日で出来た影に隠れて、顔が判別しづらかった。
けれど、それは私が足を動かすのに十分な面影だった。
校舎内に引き返して階段の方へ向かう。目に映ったいくつかの教室は既に消灯されて施錠までされているようだった。風紀委員会の方もすっかり静まり返っている。
「………はっ……はっ…………」
階段を急いで駆け下りるなんていつ振りだろう、上履きがキュ、キュと音を立てて周囲に反響する。自分の行動をどこか客観的に見ながら、衝動のまま勝手に動く自分の身体に身を任せた。
昇降口に人は居なかった。さっきの影の持ち主がまだここに居るなんて思っていない。上履きのまま外に飛び出そうとする自分をグッと押し留め、急いでローファーに履き替える。
昇降口から飛び出したとき、目の前に広がる景色の中には誰も居なかった。あれからまだそんなに時間は経ってない。あの時に見た彼がもう学校を出てしまったとしてもまだ近くに居るはず。
「……はぁっ……はっ………!」
息が切れる。運動神経は自信がある方だけど、
逸
る気持ちが体力を上回って呼吸を乱れさせる。校庭に飛び出して左側にある売店と右側にある食堂、ここから見える校門の向こう側を見てさっきの影を捜す。
早足で進みながら右、左と首を動かしていると、ピロティーの向こう側にある中庭の方から視線を感じた。
「……」
鼓動の仕方が変わった。速さは変わらない。けれど、不思議と続かなかった息が急速に整い始めた。逸る気持ちはあれど、少しずつ自分が落ち着きを取り戻すのが分かった。
「……」
どうして言葉が出ないんだろう。久し振りに会って、ほんの少し顔を合わせただけなのに。頭は冷静なのに、何を話せばいいかわからないまま足を進める自分を上手くコントロールできない。近付くたびに、よく分からない感情が胸の内側から溢れ出す。
歩き方を忘れた。それでも歩く。もしかしたら変な歩き方になっているかもしれない。あまり見られたくない。それでも進まないと、あの驚いた顔の元に辿り着けない。
時間が長く感じる。
立ち上がろうとしたまま固まって変な姿勢になってこっちを見る渉に、私は散々悩んだ挙句、思い付いた言葉をそのまま投げ掛けた。
「───何やってるのよ」
「……こ、腰伸ばし?」
返って来た気の抜けるような言葉は、私の緊張を全て吹き飛ばしてくれた。