Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (54)
女神は見開く
授業に集中できない。それもこれも胸の奥がずっとざわついているからだ。
動揺の理由は探すまでもない、こうなってしまったのは見知った男子生徒が倒れたときから続いているのだから。派手な音を立てて倒れたきり起き上がらなかった時は驚いてしまった。間抜けな声と一緒に倒れ込んだから直ぐに起き上がると思ったけれど、その様子はどうやらおかしく、慌てる先生に合わせて思わず駆け寄った。
『さじょっち……!? ねぇさじょっち!?』
親友の芦田圭と、クラスの他の男子生徒がぐったりとした彼に呼び掛けている。離れた席に居た自分が辿り着いた時には他の男子生徒に支えられて俯いた様子しか見えず、表情を窺う事が出来なかった。
先生の呼び掛けで数人の男子生徒が彼を担いだ時に初めて覗かせた顔。いつもへらっとしてたはずの顔は、真っ赤で、苦しそうで、ただつらそうだった。その様子に引きずられるように、胸の奥から伝わる鼓動の一つ一つが大きく膨らみ息苦しく感じた。気が付けば呆然としていたのだろう、彼が運び出された後、クラスメートの呼び掛けに気付くまでその場に立ち尽くしていた。
(大丈夫かな……)
心の安寧を求めてか、つい親友の彼女の方に目を向けていた。いつもの様に大丈夫だよと、そうアイコンタクトを向けてくれるのを期待したのかもしれない。しかし、そんな彼女もすぐ前の空いてしまった席をどこか青ざめた顔で見つめているだけだった。
◇
授業が終わると直ぐに保健室へと向かった。親友の圭も一緒だ。ノックをして中に入ると、保健医の新堂先生に出迎えられた。先ほど倒れた彼のことを話すとこちらの意図を理解してくれたのか、症状的にただの風邪である事を教えてくれた。それを聞いて安心し、思わず安堵の息をこぼしてしまった。
「あらー、そりゃ罪な演出ね」
彼が倒れた時の様子を説明すると、先生はあっけらかんとした様子で感想を口にした。そんな簡単に言ってしまえる話かと思ったのは自分だけだろうか。とにかくそんな様子から特別重大な症状ではない事を知り、改めてホッとする。それでも高熱には違いないようだった。
アルコールを手に吹き掛けてマスクを貰い、彼の寝る窓際のベッドのカーテンを潜って内側に入る。日頃、彼がどれだけ表情豊かなのかよく分かる、口を真一文字にして眠る表情は初めて見たと感じるほど新鮮だった。苦しそうな様子を見て、いつものお気楽な調子は当たり前ではないのだと知った。
「戻りなさい、もう授業始まりますよ」
「えっ、ぁ───」
先生に促され、二人そろって半ば追い出されるように廊下に出された。親友の気遣わしげな表情が自分の抱いている気持ちと不思議なほど同じように思えた。
同級生の彼。熱に
魘
される様子を見て妹に抱くような心配と同じようなものを抱いたのは失礼なのだろうか。どうしても、先ほどの彼の様子を思い出すたびに夜泣きした時の妹の愛莉を思い出してしまった。
彼は保健室に居て、すぐ側には保健医が付いている。それが分かっただけでも個人的にはかなり落ち着けた。何故かは解らないが、今の彼は悲しみも苦しみも無理やり自分自身で消化させようとするように思えたからだ。そんな彼の様子を、常に保健医が診ているというのなら安心だ。
(よかった……───って、何で私こんなに心配してんのよ!)
まるで家族の誰かが寝込んでしまった時のような感覚だ──。そう気付くと、異性の男子相手に抱く感情ではないと、つい顔が熱くなってしまった。自分の気持ちを誤魔化すように親友に話しかけると、教室に戻る頃には彼女とともにいくらか冷静さを取り戻せていた。
◇
四限の授業が始まる前に教室に戻った。保健室で大人しく引き下がったのは、騒がしいと彼を起こしてしまいかねなかったからだ。何より当然として新堂先生に怒られる。それに自分に
感染
ってしまえば妹の愛莉への影響が心配だ。
消化しきれなかった焦燥感が集中力を乱したまま四限の授業の時間が過ぎる。見回せばいつもの日常のように思えるものの、視界の端にただ一人居ないだけで何席分も席が空いているように思えた。気が付けば授業の終わりのチャイムが鳴っていた。
席が離れていようと彼は彼……良くも悪くも存在感の大きい彼が居ないというのには違和感があった。八方美人な親友の周囲に空きがあるのも違和感に思えた。やはり自分にとって彼らは───?
(……ちょ、ちょっと待って。圭ならまだしも、何でアイツのことを───)
ふと冷静に考えて気付く。おかしい、自分にとって〝彼〟はそこまでの存在ではなかったはずだ。多少の期間の付き合いがあるとはいえ、自分は今まで一方的に迷惑をかけられてきた。今だってそのことに腹を立てていたはずだ。それなのに、いったい何故こんなにも頭の中の大部分を彼が占めているのだろう。
『わぁっ……! カッコいい……』
「……?」
誰か女子生徒の呟きとともに突然教室が騒めきだす。いつもと違う様子が気になって顔を上げると、教室の入り口に有名人が立っている事に気付いた。
「やあ、えっと……芦田さんだったかな」
「は、ひ……お、お久しぶりです!」
四ノ宮凛先輩。この学校の風紀委員長だ。大ファンだという親友はそんな彼女を前に立ち上がって〝気を付け〟の姿勢で返事をしていた。
アップに纏められた長いポニーテールがしなやかに揺れている。あまりに凛々しい立ち居振る舞いに同じ女として憧れる気持ちも理解できる気がした。
(もしかして、渉に用事……?)
彼女がこのクラスに訪れる理由を考えると、さっき保健室に運び込まれたばかりの彼の顔が浮かんだ。そもそもどうしてこの先輩であり風紀委員長でもある彼女が彼と知り合いなのだろうか。こんなにも人気者の先輩が、彼にいったい何の用があると言うのだろうか。
「佐城に用が有ったんだが……今は居ないようだね」
「じ、実は───」
登場して10秒もせず女子に取り囲まれた四ノ宮先輩と圭。さながら先輩は男性アイドルのような扱いである。何となく圭もソッチ系と言うか……髪型で言ったら圭の方が男の子に近いし……。
『ふふ……愛ち………』
「っ……!」
顔を振って妄想を搔き消す。
これは無い。ボーイッシュな髪型ではあるものの、それでも彼女が男を装うには愛嬌が有り過ぎる。少なくとも自分の中では頼りになりつつも可愛い存在だ。〝愛ち〟なんて力が抜けるようなあだ名で呼んで来る時点で無理だった。仕草や性格がちゃんと女の子っぽいのだ。おまけにとうの先輩相手には〝オンナ〟の顔を向ける始末だった。
親友は緊張を浮かばせながらも保健室で寝ているはずの
彼
の事情を説明しているようだ。先輩の顔が次第に険しくなって行く
様
に、見ているこっちがビクビクしてしまう。それでも、彼のことなら黙っているわけにはいかないと、自分もそんな彼女達の元に近付いた。
「──それで、佐城が倒れただと?」
「はい……」
「それは……おそらく楓には伝わってないな」
〝楓〟。突然出た名前に聞き憶えがあって少し考え、思い出す。佐城楓。彼のお姉さんの名前だ。此処に来る前に伝言は無いかと声を掛けていたらしい。至って普通に返されたため、弟の彼が保健室に運ばれる事態になっていることを知らないと判断したらしい。
「むぅ……そのトラックを特定してやりたいところだが……今はそれどころじゃないな。ちょうど昼休みになったところだし──君たちはもしかして?」
「あ、はい……保健室に行こうかと」
「後で私達も行こう。君達は先に行くといい」
「は、はい」
身を翻し、早足で去って行く彼女。一挙手一投足にキレがあり武道にも通じていそうな雰囲気を覚えた。実際強いのだろう、そうでなければあそこまで自信満々のオーラは出せまい。その姿は素直に格好良く、親友の圭がファンになる気持ちも解る気がした。あそこまで自信満々になれるのなら自分とは見える景色も違うのだろう。
「圭、行こうよ」
「はひ」
「圭」
親友のほっぺたはとにかく柔らかかった。
◇
念のため彼の鞄を持って保健室に向かう。圭が「何入ってると思う?」なんてニヤニヤしながら中身を見ようとしていたため没収することにした。奪い取ってみると驚異の軽さ。彼が置き勉してることを理解した。少し揺すってみると中からはチャラチャラと音が聞こえた。財布、もしくは小銭入れでも入っているのだろう。
「あっ……あ」
ぽろっ、とどこかの隙間からスマホの充電器が落ちてきたことで自分が彼の鞄を顔の高さまで持ち上げていることに気付いた。隣から「開けちゃう? 開けちゃう?」などと煽られたがそこは正義感が働いたため頑なに断った。どれだけ保健室の彼がお調子者であろうともプライバシーがある。それに、万が一でもいかがわしい本などが出てきたらどんな顔で会えばいいと言うのだろうか。
(でも、アイツも男の子だし……っていやいや! 何考えてんのよ!)
落ち着け、落ち着けと自己暗示して冷静になる。そもそも学校にそんなものを持ってくるわけがない。と信じたい。そもそも今はそんなことで心を乱している場合ではないのだ。隣を歩く彼女はこういうところが玉に
瑕
。真面目に自分を叱ってくれた時の彼女はどこへ行ってしまったのかと、ため息をついた。
「──失礼しまーす……あれぇ?」
保健室に入ると薬品の匂いが鼻孔をくすぐった。保健医の新堂先生はおらず、静寂の中で棚の上に置かれている金魚の水槽がコポコポと音を立てていた。
カーテンの無いガラス戸の外を見ると、先ほどまでザーザーと音を立てていた外の雨足は弱くなっていた。此処から窺えるグラウンドは水溜まりだらけになっており、とてもその上を歩ける状態ではなくなっていた。明日の実技授業はどうなるのか、そんな疑問が浮かんだ。
保健室の奥には三つのベッドが置かれている。その内、最奥にある窓際の一つだけはカーテンで仕切られていた。言うまでもなく、そこに
彼
が寝ているのだと理解した。
「さじょっち〜……? 起きてる〜? ……って、さすがに寝てるよね」
「うん……そうでしょうね」
仕切りカーテンの外から呼びかけるも、当然ながら返事は無かった。そもそもこの無音の空間で起きているとは最初から思っていない。それが解っていてつい呼びかけてしまうのはきっと彼の無事を期待しているからなのだろう。
彼はかなり苦しげな息遣いだった。倒れてからまだ一時間と少し……まだ一度も目を覚ましていないのかもしれない。調子を取り戻していないことは間違いなかった。
「鞄持って来たよ〜……わっ」
「わっ……──え?」
隣で圭が小声で呼び掛けながらカーテンをゆっくり捲ると、少し驚いた様子で一歩後ずさった。そんな彼女を受け止め、隙間からのぞくベッドに目を向けて、思わず目を見開く。
病院に有りがちな、白くて固い布団。個人的にはあまり好きじゃない。それでも、カーテンの向こう側で
彼
は大人しくそれに包まっていた。
窓の向こう、小雨の降る外を薄っすらと窺い、見つめながら。