Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (55)
“大切”と“信頼”
「さ、さじょっち……起きてるなら言ってよ」
「…………あぁ……」
白い顔だった。汗はあまり掻いていないみたいだが、大人しくしている割に息遣いがやや荒い。まだまだ熱が高いことがわかる。だというのに、彼は圭の言葉を聴き取って弱々しく返事をした。
近くの丸椅子を二つ持ってきて、ベッドの脇に座る。
「……寝れないの?」
「…………」
声が聴けるならと、あえて普通に問い掛けてみた。答えを待ってみるものの、彼は答えないどころか此方を見ようともしなかった。窓を
薄
らと見上げたまま、ただじっとしている。それでもしばらく待ってみたものの、結局先ほどの問い掛けに返答は無く、彼はただじっと窓に付いた無数の雨粒を見つめていた。調子がおかしいことくらいとうに承知の上だが、少し悔しく感じてしまう。
「キツい?」
「…………そりゃな」
「そ、そう……」
別の質問を投げてみると、案外しっかりした言葉が返って来て少し驚いてしまった。決してこちらに顔は向けないものの、ちゃんと会話は出来るようだ。だからと言ってあまり無理に続けるつもりはない。必要最低限、訊いた方が良い事だけ。
「……何か要る?」
「ポカリならあるよ」
「…………」
欲しいものは無いか訊いてみるものの返事は無く、圭と顔を見合わせる。キツそうだけど落ち着いている、落ち着いているけどキツそう。余裕が有るのかよく分からない彼の雰囲気に違和感を覚えた。自分が風邪で寝込んだ時もこんな感じだったかな、と回顧してみる。高熱を出したときはネガのような色の迷宮に閉じ込められるような感覚に苦しめられた記憶がある。
それなのに、彼はその割にさっぱりとしているように思えた。
「………悪いな……」
「え……」
「騒がせた」
らしくない。それに殊勝な言葉。いつもなら「そんなことで謝るなんて」と返していただろうが、あまりの妙な雰囲気に笑い飛ばせる気にはなれなかった。そう、違和感はこれだ。いつもより語気が弱まるのは理解できる。しかし、いま彼は熱で朦朧としているはずなのに支離滅裂な
譫言
じゃなくてちゃんと言葉のキャッチボールをしてみせた。ほんのわずかな会話だったけれど、その雰囲気はどこか理路整然としてるように見えた。
「どうしたのよ? 何か変よ?」
「…………なにが」
「や、何がって……」
ねぇ? と隣に目を向けると、彼女は同意するようにコクコク頷いた。何にせよ、話せる程度までになっているのなら良かったとまた彼の方に目を向ける。すると、彼は窓の外を見上げたまま自嘲するようにくすりと右端の口角を上げた。
「へ……」
「……!」
ちょっとドキッとした自分が居た。薄幸な女の子は守りたい感じがすると聞くけれど、男の子もどうやら同じらしい。何より普段から度々ふざけている分、弱々しく笑う今の彼はどこか放っておけなく感じた。
「……」
「……」
思わず黙ってしまう。無理に会話しようとは思っていなかったけれど、寝るつもりも無い様子の彼に言葉を期待してしまうのは自分だけだろうか。話す余裕があるなら、せっかくお見舞いに来たのだからもう少しくらい話してくれても、と、つい欲しがってしまう。
(お、女の子二人にお見舞いされてるんだからもう少しくらい……──ってダメダメ! 相手は病人!)
「──うッ……」
「……! わ、渉!?」
「さじょっ!?」
突然顔を
顰
めて頭から身を捩る彼。慌てて身を乗り出して様子を見るも、すでに枕に頭を乗せている彼に自分達が出来ることなんて何も無かった。額に手の甲を乗せて一頻り唸ると、彼はそっとその手を掛け布団の中にしまった。
「…………悪い、頭痛からだから……」
「も、もう喋んなくて良いわよっ」
我儘を願ってしまったからだろうか。戒めたつもりだったが、何故だか自分が彼を苦しめてしまったような気分になった。直ぐに落ち着きを取り戻した彼だが、どうにも放っておけない。とても目を離す気にはなれなかった。ここでこの場を離れてしまえば、何かを逃してしまいそうで……。
普段の彼を知っていれば青ざめているとも見られる肌。高熱に苦しんでいる事は息遣いから解る。触れれば実際は熱いのだろうが、冷たそうにも見えた。寧ろ後者だったら異常だ。自分も気が動転しているのだろう。何故だか確信が持てず、窓の雫の影が散らばるその肌に手を伸ばして───
「───触んな」
「っ……な、なんでよ」
あと少しというところで発せられた拒絶の言葉。予想外の冷たい言葉に慌てて手を引っ込めたものの、ついムキになってしまい、戒めたはずの心が再燃してしまう。ああ、これが自分の悪い癖かと思ったのも束の間、彼は考える時間もくれずに言葉を続けた。
「二人に
感染
したくない」
「ぁ……」
「愛莉ちゃんとか……」
「う、うん……」
つらつらと述べられる配慮の言葉。向けられた真っ直ぐな優しさと続けて述べられた愛する妹の名前を聴いて思わず嬉しくなってしまう。照れくさく感じて目を逸らすと、隣の親友が同性の自分から見てもどこかもじもじとして可愛い雰囲気になっていた。気持ちは自分と同じであるようだ。
そしてあろうことか、彼はさらに言葉を続けた。
「二人を苦しませたくない……」
「な───」
「ちょ──」
◇
抜け出した。二人して。
「───ちょちょちょちょちょ!? 何あれ!? 何アレ!?」
「……」
保健室の前で立ち尽くす。騒ぐ彼女は声のボリュームを押し殺しているつもりなのだろうが、興奮しすぎてあまり意味を為していないように思える。かく言う自分も、顔は熱くなり頭は真っ白になり言葉が見つからない事態に陥っていた。
「ね、ねぇ……弱ってるさじょっちって……」
「だ、駄目よそんなのっ……不謹慎っていうか………」
おそらく、あの優しさと気遣いは本物。そこに余裕さえあれば、きっといつものようにおちゃらけた言葉と言い回しで自分たちを遠ざけていたのだと思う。きっと、今回は頭に浮かんだ言葉を漠然とした表現に飾る余裕が無かったのだろう。
(ど、どうしよう……
そんなつもり
でお見舞いに来たわけじゃないのに……)
もう一度あのベッドの側まで行って話してみたい気持ちがある。
彼が自分達に触れられまいとしていることは解っている。しかし、そこをあえて触れることでさっきと同じように──
「ど、どうしたんだ? 二人とも」
『キャアッ!?』
自分達以外に誰も居ないと思っていたところに掛けられた声。びっくりして二人して甲高い悲鳴を上げてしまった。お互いに半分抱き付き合いながら声の主の方を見て、そういえば保健室に用があるのは自分達だけではなかったと思い出す。
「し、四ノ宮先輩、と……」
少し困惑した目で此方を見る風紀委員長の先輩。その後ろで、明るい茶髪の先輩が少し髪と息を乱した様子で此方を見ていた。佐城楓さん──彼のお姉さんだ。何故だろう、彼を見た後だとどこか大人びて見えた。
「い、いえ! ちょうどお二人を待っていたところで!」
「なんだ、私が楓を連れて来ると気付いていたのか?」
「えっ!? は、はい! それはもう!」
「け、圭」
少しばかり見苦しい親友をこれ以上喋らすまいとどうにか抑える。比較的普段から余裕のある方の彼女だが、今回の場合は偶然にもどちらも免疫力がなかったのだろう。かくいう自分も黙る以外にこの場を収められる自信がなかった。
「…………」
「あっ」
冷静さを取り戻すべくじっとしていると、彼のお姉さんが何かを言うわけでもなくズンズンと歩み出て来て保健室の戸を開けた。どのような説明で伝わったのだろう、彼女はどこか急いでいるように見えた。
苦笑いする四ノ宮先輩と三人で顔を見合わせると、自分たちもその後を追って付いて行く。不思議とさっきみたいな展開にはならない気がして、取り乱すことなくまた彼の元へ向かうことが出来た。
「…………ねぇ」
「……」
彼は変わらず目を開けて窓の外を見上げていた。相変わらずと言ったところか、さっきと同じく声を掛けた直後は何も応えなかった。そんな様子の彼に、お姉さんは置きっ放しの丸椅子に腰を落とすと、腕と脚を組み、じっと彼を見つめ続けた。
「………姉貴か」
「そ。平気?」
「………頭痛い」
「熱は?」
「………高め」
「ばーか」
話しかけておきながらあまりにも辛辣な言葉。隣に居た圭が「えぇ……」と言葉をこぼした。上辺だけ聴けば何とも酷いものだ。いや、実際言葉通りの意味なのかもしれない。それなのに、そんなやり取りを見てどこかストンと腑に落ちるような感覚を覚えた。これが〝姉弟〟なのだと、妙に納得させられた。
「打ち付けたところとかは」
「…………おぼえてない」
そういえば、と思う。肩から教室の扉に向かって倒れたから変に捻ったりはしていなそうだが、本当のところは本人にしか解らない。〝おぼえてない〟という言葉は大丈夫と取っても良いのだろうか。
今の彼
の体調に関する言葉はあまり信用できない。
「楓。新堂先生が診たと言っていたし大丈夫だろう」
「……そう」
「ぁ……」
頬、首、手と───体温を確かめるようにお姉さんは彼に触れて行く。それに乗じるように、四ノ宮先輩も「どれどれ」と言いながら彼の額に手を当てる。彼は特に何かを言うわけでもなく、黙ってそれを受け入れている。
『───二人に
感染
したくない』
この状況に先程の言葉を当てはめたなら、彼は先輩達の事を大切に思ってはいないのだろうか。しかし先輩二人から好きなように触られている彼を見ていると、どうも〝どうでもいい〟と思っているようには思えなかった。
(私達と違って……許してる……?)
「──冷てぇ……」
「!」
ふにゃりと顔を緩ませ、少し気持ち良さそうにする彼。一瞬だけだが〝いつもの彼〟が戻ってきたように思えた。思わず「何故?」と強い疑問が湧いた。
「なんだ、暑いのか」
「……少し………」
「それなら何か冷たいものを買って来よう。エナジーゼリーなんかが丁度良いかもな」
「アタシはお母さんに電話してくるわ。コイツ、どうせ連絡なんてしてないだろうし」
「……」
話が進む。彼がそうして欲しいと言葉にしたわけでもない。しかし、それは何も間違っているようには見えなくて──。
虚ろな様子だった彼は目を瞑って頭を枕の正位置に収めている。じっと見ていると、さっきより体の力が抜けているように思えた。もう心配ないと言わんばかりに……。
少し、モヤっとした。