Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (89)
少女は選ぶ
「だからね、泣いてばかりじゃ居られないのよ?女たるもの、時には強くならないと───」
「あの、奥さん」
「あら佐城さん。今ね、
深那
さんにお仕事の心構えを説明してたの」
「はは、とりあえず泣き止んだみたいですね。わざわざありがとうございます」
「良いのよ良いのよ!可愛い深那さんだもの!笑ってる方が可愛いわ!」
「どもっす、後は任せてください」
「あら……?でももう少しお話を───」
「ほら奥さん帳簿まとめてたじゃないですか?そっちも大事かなって思ったんで」
「……まぁ、そこまで言うなら」
奥さんは一ノ瀬さんがまだ気になっている様子だ。爺さんと比べてどれくらい
贔屓
にしてるのかは知らないけど、今の一ノ瀬さんを放っておくって選択肢は頭の中に無いらしい。それでも俺の言葉に耳を傾けてくれたのは、期待か、信頼か。どちらにしても勝手にプレッシャーを感じてる今の俺には重い。
一ノ瀬さんは泣き止んでいるけど黙ったまま俯いていた。目が下を向いている。奥さんの一語一句をちゃんと聴いていたかは判断できない。それでも聴いてもらわないと困る。
「
相槌
打つだけで良いから聴いてくれるかな?」
「……」
真正面に座る。内気な一ノ瀬さんにとっては他人を目の前にするのはきっと苦手だろ。それを
解
っててこうする俺に罪悪感は無い。もう一ノ瀬さんに好かれようとする気持ちがあまり無いからだ。
「さっきのお客さん、変な人だったよね?ああいう人ってさ、3日に一回くらいの頻度で店に来るんだ。流石にあそこまでキチガイじゃないけど」
「……」
一ノ瀬さんは俯いたまま視線を左右に揺らしてコクリと頷く。一応俺の話は聴いてくれるようだ。
「最初で不慣れだから当然接客なんてできないよね。それは仕方ないし、怖かったら泣いちゃうのも仕方ないよ」
目の前の顔が恐る恐るといった感じでそっと上がる。俺と目が合うと、びっくりした様子でわたわたしてから何も無い所に目を向けた。この程度でまた泣く事はなさそうだ。
うん、ごめんね?
「ああ言った早口でいかにも論理的っぽいお客さんはね、俺がやったみたいに、頭悪そうにちょっとチャラい口調で話すと効果あるんだよ。男っていう点もあると思うけど、小難しい言葉が通じない奴って思わせると黙ってくれる」
「ぁ……」
「一ノ瀬さんだったら、そうだな……逃さないくらい真っ直ぐ目を見て、ちょっとギャルっぽい態度を装うと怯んでくれたかもね。人によっては難しいかもだけど」
コンビニバイトの時に培った経験だ。ちょっとチャラめの奴って思われるだけで、お客さんは勝手に俺の事をダメな奴と舐めて接して来る。一見何してるんだって感じだけど、つけ上がって絡んでくる面倒な輩は居ない。何故ならお客さんからしたら俺に絡む方が面倒だと思うからだ。ただし、同じくチャラめに絡んで来たらそのまま突っ切るしかない。
寧ろ、清廉潔白で真面目な奴は些細なミスで
粗
が目立ってしまい、こっ酷く怒られてしまう。
「接客ってやっぱ難しくてさ。面倒なお客さんじゃなくてもありのままの自分でっていうのは結構無理があるんだ。それなりに取り繕わないと、直ぐに機嫌損ねて怒っちゃうんだよ」
このバイトはそれを差し引いても楽だ。時給が安いからってのもあるけど、それでも接客の負担を感じさせないくらいあっさりしてる。だから俺はこのバイトを面倒には感じない。将来は絶対に接客業に就かないけどな。
「───で、話なんだけどさ。一ノ瀬さん、いつかそれできる?」
「ぇ……」
「さっきも言ったけど、お客さんに合わせて表面上だけでも取り繕わないといけないの。ハキハキと喋るのが苦手でも、ちゃんと自分はデキる人ですよって見せないといけないんだよ」
接客業においてはアルバイトでも最低限のスキルだ。そもそも世の中のほとんどのアルバイトが接客業だろ。アルバイトがしたいならまずその能力が身に付いてなきゃなんない。多少未熟でも慣れで何とかなるけど、私生活からオドオドしてるようじゃ話になんない。
「───できる?」
「……あ、ぁ………」
どう答えれば良いのか判らないのか、一ノ瀬さんは視線を右往左往させて口をパクパクとさせた。時折、俺を
縋
るような目で見て来るのは優しい言葉を期待しているからか。
いやぁはっはっは………イラッとすんなぁ。
出来ないのは仕方ない、だったら自分にできる事をすれば良い。それは間違っちゃいない事なんだろうけど、何事も全てそれで
罷
り通るほど世の中甘くできちゃいねぇんだよ。イヤイヤでも強制的でも、五体満足でまともな頭を持ってんなら周りがそれを素知らぬ顔でできる以上はできなくてもやんなくちゃならない。
「───できないなら、向いてないね。お父さんお母さんから貰うお小遣いで我慢しなよ」
「っ……」
すっごい優しい声で言ってやった。ムカつくかな? ムカつくよな。そうだよ、俺はキレた顔が見たいんだよ。感情剥き出しで俺を睨み付ける顔が見たいんだよ。少しは張った声出してみやがれよ。
「そもそも高校生でバイトする必要無いんだしさ、やめたら? その方が良いよ」
「………」
一ノ瀬さんの目が揺れている。動揺しているのが解る。調子付いた俺の中に、もっと虐めてやりたい気持ちが芽生えた。居間から出た向こう、レジで、爺さんから向けられた縋るような顔を思い出す。
落ち着け、そうじゃない、そうしたいんじゃない。調子付くな。馬鹿でも先輩だ。不出来でも後輩だ。
「………」
「………」
空
しさに襲われた。耐えきれず、思わず俺まで俯いてしまう。未熟極まりない“間違った感情”は少し落ち着いた。自分で認め受け入れた“苛立ち”はまだ残っている。何とか持ち直して、また一ノ瀬さんの方に目を向ける。
「……ッ………」
「……!」
………ほぉん。
不満そうな顔だ。少し黙ってる間に浴びせられた言葉の内容を咀嚼できたようだ。言い返す事もできず一方的に言われる気持ちはどうだろう、良い気分じゃねぇだろ。だったら言い返してスカッとするしかないよな? でも悪いね、冷静に受け止められる自信無ぇわ。
「……あ、あれは言いがかり……ここは古書店じゃないから古本屋って訂正すべきだったと思います」
「客のマウント取るのは絶対にやっちゃなんねぇんだよ」
「ひっ……!?」
解
っていても、言って直ぐ頭が冷えた。今のは自分でも冷たいと思うほどの声だった。威圧的な態度は失敗だったと思う。俺がしなくちゃならないのは一ノ瀬さんに“選ばせる”事だ。選択肢を奪う事じゃない。
解
ってはいるんだけれども───。
「……そこは不慣れな一ノ瀬さんが気にするとこじゃない。この際、できるかできないかもいったん置いておこう」
目を逸らして話す。目の前に居る奴は言葉が乱暴な男だ。目を合わせたって一ノ瀬さんの頭は真っ白になるだけ。このバイトを辞めるか辞めないか、今は一ノ瀬さんに考えさせないと。
「克服なんかも考えなくて良い。これからも接客する気が有るか、無いか。首振ってくれるだけで良いからさ……答えてくんないかな」
「あ………」
十中八九、期待する返事は寄越してくんねぇだろ。正直なとこ、このまま辞めてくれた方が一ノ瀬さんにとっても爺さんと奥さんにとっても良い気がしてならない。お客さんとして来る一ノ瀬さんに爺さんが甲斐甲斐しく声をかける程度が丁度良いんじゃねぇの。それが心地好いからリピーターになってんだろ?古本くらい親が買ってくれるんだろうしさ、もう楽になったらどうなのよ。
「……───やです」
「……え?」
「───いやですっ……やめたくないですっ!」
「………は?」
恨みがましい睨みを涙目で向けられた。初めて見る強い感情。
え? 何で? 割と序盤で心折れてなかった? ここまで言われてほとんどまともに言い返す事も出来なくて、何で“やめたくない”なんて言葉が出てくんだ? 泣き叫びながら言わない辺りヤケクソでもなさそうなんだけど。どういうこと……?
「で、できるようにしますからッ……! やめさせないでくださいっ!」
震えながら、泣くのを耐えるように小柄な体で後ずさった一ノ瀬さんは居住まいを正して中々のボリュームで声を出し、額を畳にくっ付けた。
土下座である。もう一度言う、土下座である。
「───ちょっとぉ!?」
え!?ちょ、あの───えぇえッ!!?何してんのこの子!?突然こんな事ってある!?
ごめん俺ただのアルバイトなんだけどぉ!!?