Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (139)
失言
どうしたら良いんだろう。
そんな思いが頭を埋め尽くす。別に何かに思い悩んでいるわけじゃない。ただ、渉との間にできた
蟠
りのようなものにずっとモヤモヤしているだけだ。
『俺達はそういうの、もう終わってるから』
あの時。あの時から何かがおかしくなった。気を緩めると直ぐにその言葉が渉の声になって反芻される。その意味はしっかりと理解出来ているはずなのに、どうして簡単に流すことができないのだろう。
渉にも気まずさは有るんだと思う。それでも、あの時から変わってしまったのは間違いなく自分の方だった。渉の“あの時”の顔と、気まずさに抗おうとする苦笑混じりの顔は全く同じで……それを前にすると、体の芯まで冷たくなっていくような感覚に凍えてしまい、頭が真っ白になる。
よりにもよって席替えで前後の席になった。それなのにまともに話すことが出来ない。だけど、渉が席を離れてどこかへ行く
度
に、戻ってきた時にどうしても視線が合い、またその顔を見ることになる。
そんな顔をさせているのは間違いなく自分の方だ。
ただ“仲良く”したいだけなのに。他でもない自分自身がそれを邪魔してしまう。もう元に戻れないのだろうか。愛莉を自慢して、可愛いって言ってもらって、渉のお姉さん自慢に見せかけた自虐ネタはもう聞けないのだろうか。そうやって笑い合えなくなってしまう事に言いようもない不安が湧き上がってくる。
三日前、早足の渉を引き留めた時に加減を忘れ、挙げ句に買い物を理由に逃げ出してしまった原因は正にそれだった。どうしてかそうしないわけにはいかなかった。熱くなる顔を隠さずにはいられなかった。とにかく、情けなさでいっぱいだったから。
そして、そんなモヤモヤは私の日常に“不調”となって現れた。
◆
「あっ……」
また書き間違えてしまった。修正テープの上に修正テープを重ねて書き直す。同じような事故をたった一枚の書類で三回も起こしてしまった。集中力を欠いていると言わざるを得ない。
週三回。それも放課後だけ拘束されるはずの約束は既に何の意味もなくなっていた。昼休みと放課後という気を落ち着ける時間に、どうして自分はこんなにもあくせくと働いているのか。佐々木くんと先輩じゃないけど、そう思わずにはいられなかった。
「…………あの、ここなんですけど」
「あ、うん。ここはね───」
三年の先輩達はどんな疑問もとても丁寧に教えてくれる。だけど、こうして向き合う姿勢と声色は申し訳なさをはらんでいて、何だかとても痛々しく見えてしまう。
(どうなってるの……?)
優しい先輩達だ。下級生に仕事を強いるような人達には思えない。それなのに、文化祭実行委員会の様子がおかしい事は誰が見ても明らか。何か、自分の知らないところで不都合な出来事が起こってるように思えてならない。それを知ろうとするにも一年生という立場はあまりにも低く、私はただ自分の役割を黙々とこなす事しか出来なかった。
そんな中で起きてしまった不満の限界。特にそれは、上級生としての裁量も狭く、一年生の世話もしながら仕事をこなさなければならない二年生に色濃く現れた。ほの暗い、二年生と三年生の
突
き合うような対立。
『♪︎〜』
「!」
お世辞にも控えてると思えない通知音。井上先輩は待ってましたと言わんばかりにスマホを取り出して、長めの爪を画面に当ててタタタと鳴らしながら操作する。
「
中薗
くん、なんて?」
「“来い”ってさ」
“やっぱり”。私だけじゃなくて、周りのみんなも同じことを思ってると思う。サッカー部マネージャーの
井上
先輩と
緒川
先輩は、委員会の進捗が上手く立ち行かなくなってからこうして途中で抜け出すようになった。この二人が平気な顔で抜け出せるのは、サッカー部そのものがこの文化祭実行委員会に不信感を抱いているから。どうやらここの実態がサッカー部に筒抜けになっているらしい。
委員会の瓦解を牽引する二人はもはや終わらない仕事に嫌気が差すなんて領域には居ない。この文化祭実行委員会に思い入れなんて無いし、むしろ自分達が迷惑を掛けられていると思っているようだった。
それに引っ張られるように、他の先輩達の“嫌気”も膨らんで行く。一年生の私たちは、そのピリピリとした空気を肌で感じながら、怯えるように作業をする事しか出来なかった。
「タカも」
「は、はい」
サッカー部キャプテンの彼女である井上先輩。そんな先輩がサッカー部の中でどのくらいの発言力を持っているのかは判らないけど、少なくとも佐々木くんは逆らう事ができないみたいだ。このあとの展開はわかっている。書類にペン先を擦る作業を進めながら小さく溜め息を付いた。
それでも先輩達を完全に悪と思えないのは、この委員会が始まった直後の親切さを目の当たりにしているから。最初からサボるんじゃなくて、一応、毎回ここにちゃんと来るのもその理由の一つ。良心の片鱗が見える。この委員会が“まとも”に機能さえしてくれていれば、きっと今頃は──。
「あ、そだ。夏川さんも来なよ」
「えっ……!」
突然の誘い。まさか声をかけられると思わなくてちょっと素っ頓狂な声を上げてしまった。たくさんの視線を感じて思わず縮こまってしまう。
「確かに。夏川さん超可愛いし、男子の連中喜ぶんじゃない?」
「部活入ってないって言ってたし。見学がてらどう? てか入っちゃう?」
「やめなよ〜、男子みんな取られちゃうよ」
「や、ウチ
泰斗
居るし」
「え、えっと……!」
盛り上がる井上先輩と緒川先輩。突然そんな事を言われても困る。知らない男の子達に見られて喜ばれると聴いて思わず怖くなってしまった。どうしていいか分からず佐々木くんに目を向けると、気まずそうにしながらも何かを期待するようにこっちを見ていた。
「その……夏川、どうだ?」
どうだ? じゃない。
佐々木くんは今これがどんな状況なのか理解しているのだろうか。そもそも委員会を途中で投げ出さないで欲しい。ゴールの見えない作業をさせられて嫌気が差してしまう理由はとてもよく解る。だとしても、やってられないと投げ出す事が正しいとは到底思えない。そんな事をしたら、胸を張って
愛莉
のお姉ちゃんなんて出来なくなるから。
「そ、そのっ……ごめんなさい」
「ん? 何で?」
「えっと……」
言葉に詰まる。だけど、ちゃんと断らないと怖い目に遭う上に大切な妹に顔向けできなくなってしまう。愛莉が誇れるような姉じゃなくなる事は何よりも怖い事だ。
そうやって気を
急
くあまり、私は言葉を選ぶことができなかった。
「───下級生が仕事を放り出すわけには行かないので………」
「……」
とても、冷たく聴こえたと思う。
少なくとも井上先輩や緒川先輩、そして佐々木くんに言うべき言葉じゃなかった。他でもない、日頃から仕事を投げ出して教室から抜け出す三人にはただひたすら嫌味に聴こえたに違いない。それに気付いたのは、先輩達が据わった目で私を見返して来た後だった。
「あ、あの……なつか──」
「へぇー、まるでウチ達が一年に仕事押し付けて投げ出してるみたいな言い方だね。まぁ結果的に間違ってないんだけどさ。気を利かせて誘ったウチが悪かったわ」
「ね。“ウチ達”と違うもんね。やっぱ部活もしないで勉強ばっかしてる真面目ちゃん達は違うわ。マジ萎えるってゆーか? 優しく世話したこっちが馬鹿みたいだわ」
あっ……。
と思った時には既に遅し。直ぐに訂正したとしても、買った不興を返品することはできない。白々しく聴こえるだけ。何故なら自分は誰もが頷くくらい正しい事を言っただけだからだ。
正論は正しい。でも、それを突き付ける事がいつも正しいとは限らない。自分は今、先輩達に残っていた文化祭実行委員会へのなけなしの“良心”を吹き飛ばし、この場所を“ただ面倒で嫌味な空間”に変えてしまったんだ。
もっと言葉を選べたら、きっとこうはならなかった。
「そんなに仕事したいなら、これもやれば」
「……ぁ…………」
失敗して放心する私の前に、緒川先輩が書類やファイルを山積みにする。自分の分だけじゃなくて、井上先輩と佐々木くんの分もまとめて、書類の順番なんて関係無いと言わんばかりに。
「………アホみたいな連中」
その捨て台詞を聴いて、自分は嫌われたのだとはっきり
解
った。