Yumemiru Danshi wa Genjitsushugisha RAW - chapter (188)
迫る悲愴
「ここだけ見るとただの怪しい奴なんだよな……」
思わず愚痴を言うように呟く。
学校ではほとんどの生徒が文化祭の片付けに勤しんでいるものの、北棟の三階はほとんど使用されていなかったため静かだった。そんな中、一人コソコソとやって来て周囲を見渡しながら生徒会室の鍵をカチャリと開ける俺はもはや不審者にしか見えないだろう。
鴻越
生だけど本来なら生徒会と無関係だからな、俺。
「ごちゃっとしてんな……姉貴の机、姉貴の机……」
結城
先輩の席である上座の右斜め前の席。そこが姉貴の席だ。その右が
甲斐
先輩、正面が
轟
先輩、右斜め前が
花輪
先輩の席になっている。
机───というには似つかわしくない上等な白いデスクの上に、本立てに立て掛けられたファイルと閉じたノートパソコンが繋がれたまま置かれていた。
席に座ろうとしたところで、後ろの棚にある物を発見する。
「コーヒーメーカーだと……」
それだけじゃない。横にはホテルとかにあるようなダンボールくらいの大きさの小型冷蔵庫が鎮座している。その上にはコーヒーミルと粉状にされた豆の入った瓶。そしてスーパーに置いてあるようなココアの粉パック。さらに横には電気ポットに紙コップ! おいおいおい、おかしいぞ……! 俺が文化祭準備手伝ってたのってついこの間の話だよな? あの時はこんなの無かったぞ……いつの間にこんなドリンクコーナー出来たんだよ!
「いただきまーす……(小声)」
紙コップにココアの粉を入れ半分までお湯を注ぐ。冷蔵庫には案の定、牛乳が入っていた。今日はコーヒーの気分じゃないんだよな。生徒会のお色直しはそこまで早く終わらないだろうし、少しくらい楽しませてもらったって文句は言われないだろう。
「さて───」
姉貴のノートパソコンを開いて電源を付ける。前にも借りた事があるし、個人用のスマホでもあるまいし俺が見たところでなんの問題も無いだろう。そもそも見られてまずいモノをこんなところに残すような性格じゃないし。
「どこだったかな、と……」
マウスを彷徨わせて、指定のフォルダを探す。確かに見られてまずいものは無いけど、それ以上に画面がごちゃっとしてるんだよな。姉貴の部屋も散らかってんのかな……もう何年も中を見ていない。
「……?」
無音の中で作業を続けていると、不意にスルスルスル……と生徒会室のスライドドアが開く音がした。やけにゆっくりだな……ノックも無かったし、生徒会の誰かか……?
不思議に思って右の本立てにあるファイルの陰から顔を出して確認する。それと同時に開かれたドアが閉じられたのが分かった。少し
仰
け反ってようやく確認できたのは女子生徒の制服のスカート。これは……姉貴? いくら何でも早くね?
そう思ったのも束の間、見えていた足がスタスタと俺の元に近付く。
「あれ? お嬢……」
「ぇ───」
すぐ側まで近付かれてようやくその人物の正体がはっきりする。ウェーブがかった金髪の毛先がふわりと踊り、どこかで嗅いだことのある化粧品のような香りが静かな生徒会室の空気を揺らす。
そんなお上品な風貌の人物───
東雲
・クロディーヌ・
茉莉花
お嬢様だったが、すっかり元の制服姿に戻ってファッションショーの時のような輝きは鳴りを潜めていた。とはいえ改めてよく見ると端正な顔立ちだ。さすが二年、三年生の先輩達に一歩も引けを取らず一位を勝ち取っただけの事はある。実際思わず感嘆するほどだったし、ここは素直に賞賛しておこう。
「いやぁ、ファッションショー凄かったっすね。さすが自分の特性を活かしてるっていうか……性別通り越して羨ましくなりましたよ。その見た目なら何でも似合うんだろうなって」
俺も両親のどっちかが西欧生まれだったらイケメンのハーフになれていたんだろうか……。春先の俺以上に自信満々に生きてるだろうし、もしそうだったらきっと今もひたすら
夏川
の事を追いかけてるんだろうな。いや、もしかしたら別の誰かを───。
「そういや前に生徒会役員目指してるとか言ってましたっけ? 今日でだいぶ顔も名前も売れただろうし、あながち狙えないことはないんじゃないんじゃないですか?」
「………」
「立候補した暁にはファッションショーの時と同じ衣装で演説してみたら、なんてね………───お嬢?」
いつもの高飛車で調子の良いノリはどうした。そう思ってパソコン動かす手を止めて再びお嬢の方に振り返る。すると、そこには酷く驚いた表情のお嬢が目を大きく見開いて瞳を揺らしていた。
「? そういや何でここに………ぇ───」
どこか様子のおかしいお嬢に首を傾げながら尋ねようとして、途中で違和感に気付く。具体的にはその右手に大きく、先端の尖った重そうな銀色の物体が握られている事に。
「………」
「………」
…………えっと。
ヤバい、よな……? これヤバいやつだよな? 一歩間違えたら無事じゃ済まないやつだよな? 下手に騒がない方が絶対良いやつだよな?
頭の中でギアが一気に加速する。同様に甲高い警鐘の音がけたたましく鳴り響いた。身動きが一切取れない。さっきまで軽かった体がズシリと重くなったような気がする。
「あ、あー………っと……」
……考えろ俺。ここで失敗は許されない。お嬢は非力な女子かもしれないけどその手にあるもの───裁ちバサミはしっかりと凶器になりうる物だ。無理に奪おうとしても無事で済む保証なんかどこにもない。慎重に、慎重に事を運ばなければならない。
「…………ココアでも、飲む?」
「……!」
薄ら笑いを張り付け紙コップ片手に立ち上がる。しかしそれは悪手だった。神経の張り詰まった状況で自分より背の高い男が目の前で急に立ち上がればびっくりもするだろう。その瞬間の怯えるような表情は、まるで俺の方が酷い事をしたかのようだった。
「あ、あぁっ……!」
「お嬢!」
手に持つ凶器を固く握ったままお嬢が大きく後ずさる。自意識のない咄嗟の行動だったのか、手前にある甲斐先輩の席の椅子にぶつかり、デスクの右端に置かれていたペン立てが床に落ちて中身が盛大に散らばった。
慌てて体勢を立て直そうとしたお嬢だったが間に合わず。あっ、とそう思った瞬間にお嬢の背中は出入口のドアに強くぶつかっていた。
「ちょっ、 おいっ───くっ!」
「………なんで」
床に崩れ落ちすぐに立ち上がったお嬢に駆け寄ろうとするも、左手に握られた裁ちバサミの先端は俺の方を向いたまま。震える手首を右手で掴んで支えているようだった。近付くこともできず、大きく二歩ほど離れた場所から様子を窺うことしかできない。
ココアの入った紙コップは床に落ち、穏便に場を収める事もできず、状況は最悪の一言に尽きた。
「なんで………ここに…………」
「な、何でって……」
茫然自失といった様子で俺を見上げるお嬢。言葉から察するに、今この場に俺が居ることがよほど信じられないようだった。
驚いた表情のまま俺を見るお嬢。しかし次第に瞳から光が消え、視線を落とすと同時に裁ちバサミを持つ手もダラりと下げられた。
「いったいどういう……」
どういう事だ、そう言いかけたところでハッとする。
姉貴一人の呼び出し、
人気
の無い生徒会室、躊躇無く〝姉貴の席〟に向かって来たこと。俺だと分かった瞬間の驚き
様
───。
「まさか────
姉貴
を……?」
気が動転していたのは俺も同じ。お嬢の矛先が日頃からどこに向いているかなんて少し考えればわかる事だった。
お嬢は生徒会長である結城先輩の
許嫁
であるという。そんな関係でありながら、どうも結城先輩の興味関心のベクトルはお嬢ではなく姉貴に向いているらしい。そんな先輩から見向きもされず、お嬢が姉貴から怒鳴られる場面を見たことがある。姉貴に対して憎しみを持っていてもおかしくないのかもしれない。
「……っ………」
近い人間、それも血の繋がった家族が害されようとしていたかもしれない事実にゾクリと身の毛がよだつ感覚がした。言いようもない恐怖感で頭のてっぺんがやけに冷たく感じる。
「───あね……?」
「え? あっ……」
目を見開いたお嬢が俺を見る。一拍遅れて俺は自分の失敗に気付いた。
深い理由はないものの、面倒事に巻き込まれたくないからとお嬢には俺がその女の弟であり、名字が『佐城』という事を明かしていなかった。偶然の産物ではあるものの、そうでなければお嬢は俺にファッションショーで自分に投票しろなどと言い出さなかっただろう。
誤魔化そうにもお嬢の視線は俺の胸元───今日に限って付けているネームプレートにあった。
「…………そういう、こと」
「こ、これは……」
下げられていた裁ちバサミの先端が再び起き上がる。今度こそ俺が標的か───そう思って一瞬焦るも、お嬢はそれを無造作に床に落とした。ゴトンゴトンと質量のある音を響かせながら俺の足元まで転がって来る。呆然とそれを見つめてから顔を上げると、お嬢の手には代わりに別のものがあった。
「ふふ、みんな……みんなわたくしを馬鹿にしてっ……!」
「お、お嬢……!」
「貴方もどうせッ……!」
「違っ……!?」
キリキリキリ、と伸びる刃先。ご丁寧にストッパーまでかけてお嬢は新しく手にした刃物────カッターナイフを見つめながら、両手でその持ち手を固く握った。甲斐先輩のデスクのペン立てにあったものだ。
「───もう……いや」
手の震えで大きく空気を掻き混ぜながら真上を向く刃先。それを覚悟と恐怖の狭間に居るような虚ろな目で見つめるお嬢。俺があの佐城楓の弟と知り、敵意を向けているのだとしたらカッターナイフの刃先はあんな向きにはならないだろう。
数秒後、何が起ころうとしているかはそうなる前に予測できた。
お嬢は両手を震わせながら、しかし確実にカッターナイフを自らの首筋へと近付ける。所定の位置と思われる位置に近づくにつれ、お嬢の目に宿る怯えが鋭さに変わって行く。もはや正気には見えない。
「……っ………!」
マズい───マズいマズいマズいマズいッ!!
このまま静観を貫くわけには行かなかった。
呆然としてる場合じゃない。止めないと。飛びかかるか? そんな事をすれば尚更ヤケになるんじゃないか? じゃあどうする。やめろと説得するか? でもどんな言葉で?
「…………!」
頭の中で未来へのルートが枝分かれして行く最中、足元に落ちている裁ちバサミが目に入る。瞬間───何を思ったか俺はそれを床から掠め取っていた。
数多の分岐が吹き飛び、道は一本に繋がる。確実性を帯びない運命の道に確かな踏み心地は無く、進む先に結末は見えなかった。
引き返す選択肢がある事を思い出したのは、その先に辿り着いてからだった。